新人・初出馬”トップ当選!”選挙用品専門家のアドバイスで始まった『下田流選挙戦略術』

2011年9月、千葉県君津市議会議員一般選挙に新人・無所属で初出馬され、2,589票を獲得し見事トップ当選という偉業を成し遂げられました。サラリーマンから一転、そして“トップ”当選された背景には、どんな戦略や活動の展開があったのでしょうか。具体的な活動を中心に、詳しく話をお伺いしました。

インタビュー内容

    君津市議会議員一般選挙データ(9/25投票日現在)
    定数 24名  立候補者 26名
    有権者数 全体 73,145(男37,059 女 36,086)
    投票者数 全体 43,397(男 21,311 女 22,086)
    投票率  平均 59.33%(男57.51% 女 61.20%)

    下田けんごさんのご紹介

    よろしくお願いします。では、まず自己紹介をお願いいたします。

    元NHKディレクター下田
    「元NHKディレクターとして様々な番組を取材、制作」

    私は、昭和56年生まれの30歳です。
    高校までの18年間は地元の千葉県君津市で、大学の4年間は京都の立命館大学で過ごしました。

    大学を卒業後、NHKにディレクターとして入局しました。主に山形放送局で7年間、ドキュメンタリー番組などを作ってきました。大学では政策科学部という、一応、政治に関わる学部で、特に統計学をきちんと使って政治に活かして社会問題を解決しようという学部でした。
    一方、私はそういう大学のテーマとはそぐわないことをしていまして、友達と学生新聞を作って配ったりしてました(笑)

    誰もが知りたい新人トップ当選者の活動プラン~選挙ノウハウ~

    新人・トップ当選者の選挙活動プラン(選挙ノウハウ)は、選挙初出馬を考えている方なら、最も関心を寄せるところであります。
    いきなりで恐縮ですが、新人・トップ当選した選挙のノウハウを、ズバリ伺います!一体どんな活動をされていたのでしょうか?

    告示2~3カ月前からの後援会拡大活動と駅立ちと街頭演説を中心に活動しました。

    なるほど。では、どんなふうに活動されたのか詳細もぜひ教えて下さい!

    告示から6カ月前まで遡って、下田さんに”活動プラン(スケジュール)”をお伺いし、まとめましたのでご覧ください。

    ~ プラン表を眺めながら、読み進めるとより分かりやすくなっております ~

    下田さんの “政治活動” と “選挙運動” のプラン表
    プラン(1) 告示から 6か月前(3月) 末日で会社を退職

    プラン(2) 告示から 5か月前(4月) 戦略を練っていた時期

    プラン(3) 告示から 4か月前(5月) 後援会立ち上げ

    プラン(4) 告示から 3~2か月前(6~7月) 活動スタート
    ・後援会拡大活動…スタートから投票日前まで
    ・駅立ち…朝6時半~8時、夕方17時~18時半
    ・街頭演説
    ・ブログ更新3日に1回
    ・入会案内で入ってくれた方への御礼状送付
    (入会御礼の電話をした後、どなたかご紹介して頂けるよう手紙とリーフレットを送付)
    ・ハガキ作戦→選挙運動用ハガキに直筆メッセージを書く
    (後援会では面倒だと不評…。でも有効な手段)

    プラン(5)告示から1か月前(8月)
    ・後援会拡大活動に特に力を入れた(一番説得力があるという判断から)
    ・電話作戦  ボランティア15人くらい 午前・午後のローテーション組み

    プラン(6) 選挙期間中
    ・スポット演説と握手(他の候補者がしていない、あるいはしないなと感じていたから)

    ※漫画風のストーリー仕立てでもご覧いただけます。

    ストーリー画像の数字は、プラン表のプラン(1)~(6)と同じ流れになっております。

    プランを見ますと、告示の半年前から活動を始められたんですね。

    そうですね。本格的な活動は、団体届けを出したあたりですかね。4月はけっこう悩んで考える作業が続いていました。( プラン表(2) 5か月前…戦略を練っていた時期 )

    弊社へは依頼される前から相談されていたようですが、それは後ほど伺うとして(→ もくじ4.)どんなことを悩まれていたのでしょう?

    田村さん(弊社代表:以下同)の電話コンサルでのアドバイスから、テーマを1つ掲げなければと思ったものの、なかなか決められなくて。というのはNHK最後の仕事だった東日本大震災にどう触れるのか悩んだんです。 被災地の苦しみは続いているし、自分は退職していましたから。でも悩みに悩んで「防災を訴えよう!」と決めました、自分の中で取材の記憶も忘れられないし、切実な思いだったからです。 決めたら迷わず最後まで、チラシ・演説内容、ポスターとすべて統一したコンセプトで戦いました。

    なるほど、コンセプトの根源は東日本大震災を経験されたことにあったんですね。
    ちなみに、戦略を練る上では、並行して予算のことも考えなければならないと思うのですが、参考までにどれくらいで考えていましたか?

    田村さんに相談した時もそうだったんですけど、予算的には130~150万円位で出来ればと思っていました。 実際は、選挙期間中が100万円、期間外が約150万円。合計で250万円位ですね。

    人との出会い、繋がりが当選へのルーツ~後援会の拡大活動~

    プランの全体をみると活動スタートから投票前日まで“後援会拡大活動”が占めていますね。

    ( プラン表(4)(5)(6) 後援会拡大活動 )

    後援会の拡大活動ということで、自分の小中学校区を中心に、知り合いや紹介を受けたお宅などを私と父で7,500件ほど伺いました。

    ~ほんとは教えたくない(笑)~ 『下田流・後援会 拡大活動』 詳細
    ◆ 情報収集と活用方法 ◆

    【君津市のデータ】
    ・世帯数を把握。事務所の壁に「市の世帯数」を目標として貼る。

    【 住宅地図 】
    ・A4にコピー。地区ごとにまとめる。
    ・表紙に「○○地区○戸」と書いて、持ち歩く。
    活動後は、

    ①伺った家
    ②特別な反応・良い悪い両方
    ③留守
    ④関係性など(教え子、父知り合い、姉同級生)などを書き込む

    ◆ 意識していたこと ◆
      ◎歩く … 人の目に触れやすい。
    (後日「汗をかいて、真っ黒に日焼けして活動している人がいる」と噂になっていた
    のを知る)
      ◎地区の神社、寺などは全てお参りする … これからこの地域で頑張るという決意と
    ゲン担ぎ

      ◎畑などにいる人にも声をかける … 留守宅の方かもしれないのですべての人に声を
    掛けるため

      ◎最後の電話作戦の反応をABCDに分けて、票読みをした。

    秘密作戦

    どんな言葉でご挨拶されたのですか?後援会の拡大活動

    ピンポンして、「今度、政治に挑戦する下田剣吾と申しますが、ご挨拶に来ました」と言って、何か困ったことなどありますかと聞いたりしていましたね。

    それから段々と、相手に合わせて話すように変えて
    「新人で政治活動を始めた下田剣吾と申しますが、もし良ければ名刺だけでもお渡し願えませんか」と 言って、出てきてもらってもう一度自己紹介して握手をして帰る。
    挨拶が自分らしく出来てきたのは、200件くらい伺った頃でしょうか。1週間くらいですね。

    名刺とリーフレットをセットにして、ご挨拶しながら、一人一枚配りました。
    不在の時はメモを書いてポストに投函
    しましたね。

    名刺と後援会入会案内
    「きみつ改革!」その言葉通り、自分の根本的な気持ちを変えず、政策を伝えた 『後援会入会案内と名刺』

    メモとは何にどんな内容を書かれたのでしょう?

    リーフレットに「不在中、失礼しました。本人」と書きました。 “本人”って書いたことに反響があり、『わざわざ本人が来てくれたんだ』って後から言われました。

    なるほど。ご挨拶の内容とかメモの内容とか、すごく考えられて発信されていますよね。”選挙のルール”で、言ってはいけないワード(※)がありますが、やはりそこは意識されてのことですか?

    そうですね。
    違反にならないよう明確に線引きして「よろしくお願いします」などの曖昧な言葉は言わないようにしていましたね。

    (※)選挙告示前に行う事前の活動は「政治活動」のみに限られます。
      ×立候補する事実などを表現する言葉
         例:「立候補します」「出馬します」「投票下さい」「1票をお願いします」など
      市政に対する想いなど、政治活動を啓蒙する言葉
         例:「今、○○市には××という問題がありますが、私はこの問題を○○していきたい」
         「私は○○地区の△△という運動に取り組んでいます」など
    参照:『28歳で政治家になる方法』P.161~P.162>

    他に意識されていたことなどありますか?

    謙虚に話を聞いて、「一生懸命やります。地道に街を良くしていきます。」ということだけ言ってました。基本的にはあっさりいったほうが、反応が良かったです。握手をして「頑張ります」とだけ言って次に行く。自分は時間がないということも十分意識していたので、まずは、若くて謙虚な姿勢をしっかり見せようということだけを意識していました。
    ただ、相手が一言でも話したそうな雰囲気であれば話を伺いました。時には、2時間でも。

    後援会の拡大活動としていろんな方に会われたと思いますが、ご苦労なさったことはありますか?

    後援会拡大活動途中
    『後援会拡大活動の途中の下田けんご氏』政治活動は、色んな出来事が起こりますね…(汗)

    そうですね。だいたい、3,000人くらいにお会いしたのですが、3回だけ嫌な思いをした記憶があります。地元で若い人に頑張ってほしいと思っている方が多かったんだなと感じましたね。
    皆が本当に歓迎してくれました。頑張ってくれというのもあるし、自分は地域の事情で応援できないけど、絶対頑張れよっていう話も聞いたし、あるいは地域の事情で表面には出せないけど心の中で応援しているからなっていう手紙を頂いたこともあって、ずっと嬉しかったです。

    嫌な思いをされたのは、たとえば、どんな出来事だったのでしょうか?

    エピソード1
    犬を飼っているお宅でした。いつものように挨拶をするとエピソード1「はいはいはい」という感じだったので、パンフレットを
    渡して次の家に歩き始めたんです。 すると、背中越しに「これで遊べ」と、今会ったばかりの主人の声と、
    「ワンワンワンワン!ぐしゃぐしゃぐしゃ…」という音が聞こえてきたんです(笑)。
    もしかしたら別のものかもしれないけど、たぶん渡したパンフレットを犬に食べさせたと思います。
    挨拶した時の雰囲気でそう感じました。なんで、そんなことをされなきゃいけないんだろうと思いましたね。これに賛成していますとか反対していますというようなベクトルがあることは一切言ってませんでしたので。
    「新しく、街のために政治に挑戦したいので宜しくお願いします」としか言ってないですからね。
    ショックだったなぁ。
    エピソード2
    告示1週間前くらいの終盤でした。エピソード2
    挨拶した家の人に「てめぇNHKも勤められなかったのに、市議会議員が務まるわけねぇじゃねぇか!」と言われて絶句しましたね。まだ名刺などを渡す前だったんですけど。自分の情報を知っているというのは、どこかの後援会の人なのかとい
    ろいろ推測しましたが、なんでそんなことまで言われなきゃいけないのか分からないなという理不尽さに怒りを覚えました。

    出会いが多いと、なかにはそういう方もいらっしゃるのですね…。

    後援会拡大活動は、もちろん重要な活動だと思いますが、この活動を全体の中心としたのは
    どういった考えからだったのでしょうか?

    ベテランの先輩議員に言われたんです。
    “死ぬ気になって活動すれば市議会議員選挙は当選する”。

    一般的に無風が続いている選挙区では死ぬ気で後援会拡大活動してるヤツもいなければ死ぬ気で辻立ちしてるヤツもいないし死ぬ気で演説してるヤツもいない。どんなにお金がなくても、どんなにビジュアル的に格好が悪くたって、絶対、今の有権者は見てるし期待してくれると思いますね。、必ず、本当に当たり前のことをやれば当選するんだと。今も私はそう思います。

    その地域によって選挙の背景は様々ですが、自分のスタイルを確立した活動が有権者の心を動かしたのでしょうね。
    ところで、それまでの地位を築き上げた会社を退職されてまで、政治家を目指したのはなぜでしょう? そのきっかけを聞かせて頂けますか?
       

    ( プラン表(1) 会社退職 )

    本当に足を一歩踏み出したのは、“地元に帰りたい”という思いが心の中に一番強くあったからですね。前職で赴任中の山形で7年それなりに仕事してきてそんな思いが芽生えていました。地元で暮らす92歳の祖母も体調が悪くなったと連絡も入って。このまま転勤族を続けていけば、故郷には帰れない。 でも、社会的な使命がないと、実際に会社もやめられないなと思いました。
    過疎の姿も地域でがんばる人も山形でたくさん取材をしたんで、そんな経験も活かして、やっぱり若い世代で自分が”生まれた町を良くしよう!”そう思って退職しました。
    NPO団体を立ち上げるか、政治家になってみよう!と思いました。

    なるほど。でも、NPO団体ではなく、政治家を選んだのはなぜですか?

    やはり政治家が魅力的に思えたんです。
    若くて良く働く政治家が地域で必要とされていると感じました。それに、自分が得意な“人と仲良くなる”という特技を活かせるんじゃないかと思いました。問題を解決する、仲間を増やしていく、そんな場面が多い政治家が向いているという想いもありました。

    選挙用品のプロの言葉から導き出された一つのテーマ

    弊社を知ったきっかけ・決めた理由を教えて下さい。

    28歳で政治家になる方法
    下田氏も参考にした 弊社代表:田村の著書 「28歳で政治家になる方法」

    選挙用品ドットコムを知ったきっかけは田村さんの本です。

    田村さんの本などを読んで、どういうことが地方議員としてできるのか
    いろいろと調べてから出馬を決めました。
    それで依頼する前から田村さんに相談させてもらっていたんです。

    先ほどのお話の中でテーマが決まらず悩まれていた時期ですね。(→ もくじ2.)
    それは、どんなアドバイスでしたか?その言葉はどんなものだったのでしょうか?

    いろいろとアドバイスを受けた中でも“どんな候補者なのかを提示する”ことが候補者のマナーだっていうのが心に響いて、ホントに最初から最後までずっと意識してました。有権者に“この候補者は何をしたいのか、どんな人間であるかを提示すること”を。
    それは同時に、“他候補者と差別化する”ということでした。 この言葉を意識して考えて、リーフレットとポスターも、娘と二人で撮った2ショット写真を使いました。

    他候補者と差別化すること!

    アドバイスから生まれた”戦略的ポスター”

    通常、選挙ポスターは候補者一人の写真を使いますよね。スタンダードではないポスター(お子様との写真を使用)にしたのはなぜでしょうか?

    親子で撮った写真を使うことで、「君津市議選挙史上初めての2ショットポスター(特に子どもと)」という話題になってくれればという想いです。「ほう、若い世代だ」「私も子供がいるし、良いかも」という有権者層から“共感”を得られたらと思いました。そして、25人の全候補者の中で“3歳の娘を持つ親”は私だけでしたので、まさに子育て世代ということを強調して差別化を図りました。

    下田けんご本番ポスター
    意表を突いた「3歳の愛娘との本番ポスター」

    このポスターでいこうというのは、いつ頃から決められていたんですか?

    考え始めたのは2か月くらい前からでしたね。
    それはずっと作戦として胸に秘めていました。 私にとってのポスターの意義は、ポスターを見て最後に選ぼうと思っている人達へのメッセージです。人と違うことをやるんだと。今までの政治家とは違うんだということを伝えたくて。

    ご自身の選挙でポスターの役割を明確に定めていたんですね。 反応はいかがでしたか?

    反応はすごかったです。みなさん覚えてくれていたようで、当選後にイベントに行った時も「今日お子さんは一緒じゃないの?」って聞かれましたし。
    “予想以上に有権者へ影響があるんだな、ポスターって”と実感しました。

    ポスターを始め、リーフレット等も弊社にご依頼頂きましたが、制作過程(デザインのやりとりなど)はいかがでしたか?

    初めは勝手がわからず、デザイナーの方にかなり細かいところまで指定して「いつまでに欲しい」というやりとりだけでした。でも何か良いコラボしてないなと感じて。
    ある時、狙いだけ自分で絞り込んで、こういうことを伝えたい、後はお任せしますと言って、素材を渡して投げてみたんです(笑)。それで、デザインが、ガンっと出来上がってきた時に、自分の能力以上のものが出来ていました。デザイナーって凄い!と思いました。

    ~ 弊社、デザイナーにもインタビューしてみました ~

    下田さんとのやり取りはいかがでしたか?

    そうですね~、まず「いつ、納品できますか?どのくらい前に発注すれば良いですか?」とお問い合わせを頂きました。
    『(早めの注文が良いのは前提として)活動あってのデザインなので、自分の想いが固まった時』とお返事させていただきました。
    『私を有権者だと思って、デザインに入れ込みたい想いをお聞かせください。』と伝えた所、最初の注文と一変して、”自分の活動はこんな事をやってます、これでデザイン提案ください”に変わりましたね。以前、こんなメールを頂きました。

    (一部省略しています。)
    『こちらの意図としては、「君津選挙史上初めての2ショットポスター(特に子どもと)」という話題を作りたいと思っています。
    1割弱の方から 「あざとい」 「こどもがかわいそう」 「何でこども?」 「幸せアピールかよ!(実は
    無職で幸せではない笑)」と必ず思われるのは想定し、しかし その他大勢の「ほう、若い世代だ」 「私も子どもいるし、良いかも」 という層を狙った アプローチに挑戦します。
    と言うわけでB案でした。せっかく作っていただいたのに、すみません!
    いくつか修正ポイントです。
    ●表のNHKディレクターの「NHK」を大きく、強調、できたらと思います。
    お渡しする時、お年寄りがすぐには目に入らないような感じです。 下田剣吾』

    といったように、『どんな挑戦をしているのか』 『強調させたいところはどこか』 『誰に対してなのか』を伝えてくれました。数十回のメールのやり取りと電話をして、会わなくても、どんな活動されているのかや有権者に何を伝えたいのかを伝えてもらえるだけで、私のデザインではなく下田さんの気持ちの入ったデザインとなっていきました。
    私としては、候補者の方が伝えたい想いやイメージを視覚で表現する役割をさせて頂いているという感じです。

    ポスター案

    ズバリ!!トップ当選した一番の勝因

    トップ当選の勝因はズバリ何だと思われますか?

    いちばんの勝因はやはり家族とボランティアの行動だと思います。
    私の父は体育教師、母は英語教師として、市内でたくさんの生徒と関わってきました。その教え子のみなさんが両親を慕い、協力してくれました。ある教え子の方は本人は東京在住なのにメールや電話で支援してくれたり、教え子の親世代なども後援会に入会してくれました。
    それは1,000を越える数字と見積もっています。義理ではなく熱のある票だったと思います。またボランティアの熱意と人数、寄付の数も群を抜いていたと思います。そうした前向きな陣営の雰囲気と地域を地道に歩いてまわっていたことが最後に新人への期待として大波になった、そんな感じでした。

    家族とボランティアの支援
    勝因は『家族とボランティアの支援』

    家族とボランティアの熱心なサポート~反対・協力・感謝~

    下田さんが選挙に出ると決めた時の、ご家族の反応などはいかがだったのでしょうか?

    家族には、そういう方向でという感じで話はしていたかな。『来る時がきたな』という反応でしたね。ハッキリいつなるということではなく、もし、そういうことになったら…といった話を日常的に家族と話し合ってはいたんです。そんなこともあって、家族はなんとなく政治家になるんじゃないかと思っていたようなんですよね。私の記憶では、そのために生きてきたとか、言い続けてきたとかはないんですが。ことあるごとに言っていたようです。 今思うとかなり楽観的だと思います。上手くいかないことをあまり考えなかったですね。家族に対しても、普通の人なら、完全に無職になることとか、子供を育てる環境を変えてしまうこととか考えると思うんですけど、まぁなんとかなるんじゃないかなと(笑)。

    反対はされなかったのですか?

    反対はないですね。話し合うたびに「家族には迷惑かけないから」と言っていたので。でも、実際に出馬を決めた後は色々とお願いして手伝ってもらったので、最後のほうは家族みんなから苦情がありましたね。「全然手伝わなくていいって言ったのに」と(笑)。

    ご家族の中でも、お父様は特に熱心に支えられていたように感じたのですが、お父様としてはどんなお気持ちだったのでしょう?

    下田氏のご両親
    「元中学教師 父・正行、母・有美」

    こどものためなら仕方がない、という気持ちだったと思います。63歳のからだで6キロやせ、靴も一つダメになったと聞きました。地域の政治の難しさも知っていたでしょうし、政治に関わったことで、離れていった知り合いもいたようです。
    辛い思いをしながら応援してくれました。
    父の人格のすごいところにつきるかもしれません。本当に感謝しています。

    今後の抱負

    最後に今後の抱負などをお願いします。

    一番は、私自身も東日本大震災を取材しているので、短い期間で限られてはいたけれど、災害が本当に命を奪うんだということを実感しました。
    “起きてしまえば、信じられないくらいの悲しいことが起きる”のだと。 君津市議会議員になった今、防災対策として防災の体制をしっかり作ることと、君津市の公立保育園が木造で大地震に弱いまま11園も放置されたままになっているんで、その保育園を建て直すことこの2つを大テーマにしていきたいと思っています。
    【下田さん活動報告はコチラから】 ブログ 「下田けんごの剣の道」  http://shimodakengo.blog.fc2.com/
    君津市議会議員 下田けんご氏
    「君津市議会議員 下田けんご氏」
    【取材を終えて】
    若くて爽やかな下田さん。活動前には、弊社代表田村の『28歳で政治家になる方法』を始め数々の選挙本を読み、政治家になるためにしなければならないこと、出来ることを熱心に調べ・考え・悩まれていたようです。 また、田村からの“この候補者は何をしたいのか、どんな人間であるかを有権者に提示する”という言葉を活動の軸として、“ブレないこと”を貫き通されたことが、当選の鍵を握っていたのではないかと感じました。
    他の候補者とは違う自分をアピールし、“当たり前のこと”“誰もやらないこと”をやる。言葉にしてしまえば簡単ですが、実際に行動に起こすことは、相当な覚悟が必要だったのではないかと思います。 ご自身の活動を信じてやり抜き、それに有権者が応えてくれることを信じた結果が、『新人・トップ当選』という偉業につながったのですね。
    貴重なお話しをありがとうございました。今後益々のご活躍をお祈りしております!
    ※ 取材日時 2011年11月