「生まれ変わっても、また政治家になりたい…」

「生まれ変わっても、また政治家になりたい…」

逗子市議会議員 高野 たけし氏が語る 「少人数スタッフで選挙戦を勝ち抜くための時間管理術」 特別な政治活動の経験がなかったにもかかわらず、29歳の若さで初立候補・初当選。以後、逗子市議会議員を3期連続で勤める高野たけし氏。必要最低限の費用とスタッフで乗り切ってきた選挙戦に関して、初当選したときの経験を中心に話を聞いた。

インタビュー内容

    高野 たけし氏の紹介

    自己紹介をお願いします。

    逗子市議会議員の高野 たけしと申します。みなさまのおかげで、2010年3月の逗子市議会議員選挙で3期目の当選を果たすことができました。「市民のみなさまの声を一つ一つしっかりと聞き、それを形にする政治家になろう」という志のもと、全力で議員活動に取り組んでいます。

    得意な分野といったものは特に設けていません。市議会議員とは市民のみなさんの暮らしに関わることすべてが自分たちの仕事だと思っていますので。あえて言えば、財政の健全化や税金の有効活用といった行財政改革には積極的に取り組んでいます。

    市議会議員としての活動

    普段の活動の様子を教えてください。

             高野新聞

    議会開会中、日中は議会にいます。夜の時間は政策の立案や市内在住者との意見交換などにあてています。休日は、要望をいただいた方との面談や政策のための現地調査などにできるだけ多くの時間を使うようにしています。

    議会閉会中であれば以下のようなケジュールになります。

    4時30分 起床
    5時30分 自宅出発
    5時50分~9時 駅における辻立ちにてビラ配り
    9時30分 帰宅
    9時30分~11時 食事・休憩
    11時~17時 ポスティング
    17時~18時 休憩
    18時~20時 雑務(政策作成含む)
    20時~ 食事、入浴など
    23時 就寝

    辻立ちを行わない日であれば、10時~17時はポスティングや面談、調査などの作業にあて、夜の時間は室内作業が日課となります。

    また、みなさまからいただいた要望とその改善への取り組みを知ってもらうため、年に4~5回のペースで「高野新聞」という個人新聞を発行しています。常にみなさんの「目に見える政治家」でありたいと考えており、はじめて選挙に立候補したときから発行を続けてきたものです。長く続けてくる中で、「高野新聞」を読んでいただいた方からアイデアや意見をいただくことも多くなってきました。そういう意味では、自分の知恵袋といえるような存在にもなってきました。「高野新聞」の発行は、これからも続けていきたいと考えています。

    なぜ、立候補しようと思ったのか

    なぜ、政治家になろうと思ったのでしょうか。

    「誇りを持ってのぞめる仕事だと思ったので、政治家を目指しました」

    ウインドサーフィンが好きで、学生の頃は毎週のように逗子の海に来ていました。その頃、ウインドサーフィンの大会などを通じて知り合ったのが、現・衆議院議員の長島 一由さんです。知り合った頃は、まだ長島さんも会社員でしたが、国会議員、鎌倉市議、逗子市長、衆議院議員へと挑戦する姿を目の当たりにして、自分も挑戦してみたいという気持ちを持つようになりました。誇りを持ってのぞめる仕事だと思ったからです。

    逗子市議会議員を選んだ理由は。

    僕は東京の出身なのですが、会社員時代にいろいろな土地を転々としました。それぞれの場所に愛着はありましたが、特別な縁やゆかりのある場所はなくて、それならばどこでも同じ条件なわけですから、一番愛着の持てるこの逗子という場所に貢献できる仕事がしたいと考えました。それだけ、この街で過ごした時間が私にとってかけがえのないものでもありました。

    立候補するまでの経歴と準備期間

    立候補するまでの経歴を教えてください。

    大学を卒業してからゲームメーカーに就職し、営業マンの仕事をしていました。その後、転職して人材派遣会社でマネージャの仕事をしました。政治ということに関しては、長島さんの選挙活動をお手伝いすることや勉強会に出ることはありましたが、立候補する前にこれといった政治活動をしてきたという経歴はありません。ただし、逗子市議会議員に当選した後、中央大学大学院で2年間、街づくりを中心とした政策の勉強をしました。

    立候補するどのくらい前から準備をはじめましたか。

    立候補のための準備を、本格的に開始したのは選挙の半年前からです。政治家になろうと決心したのは、選挙の2年ぐらい前になります。まずは、自分の決意を家族に伝えることからはじめました。当然、仕事も途中で投げ出すわけにはいきませんので、きちんと引き継ぎなどを終え退職してから、立候補の準備に専念しました。

    初めての選挙で何を用意したのか

    はじめて立候補したとき、選挙資金はどのくらい用意されたのですか。

    2010年3月の逗子市議会議員 選挙の様子 (写真提供:高野たけし氏)

    100万円ぐらいを目処に考えていました。実際は、100万円未満で済んだと記憶しています。

    100万円というのは、多い方なのですか。

    他の方と比べて多いか少ないか正確にはわかりませんが、たぶん少ない方なのではないでしょうか。お金をかければいくらでもかけられるし、いくらでもハイスペックのものを手に入れることができるのかもしれませんが、僕としては準備できるのがこの金額だったというだけです。
    ただし誤解していただきたくないのは、お金を節約して選挙を戦うことが大切だと考えているわけではないということです。当選した後も継続してできる活動の延長として選挙戦があると考えていますので、選挙だからといって無理してするようなことはできるだけしたくありませんでした。もちろん、2回目の選挙も3回目の選挙もその姿勢は変わりません。

    具体的な資金の使い道は。

    選挙資金で購入したのは、主に次のものです。

    ・街宣車に取り付ける看板 (街宣車は知り合いから借用)
    ・立札看板
    ・たすき
    ・のぼり
    ・名刺

    このほかに、「高野新聞」を作り5カ所の駅前で配布したり、ポスティングしたりしました。部数は、1回1万部。10週間、毎週の内容を更新していきましたので10万部ぐらいです。印刷業者などを使わず自分で原稿を書き、印刷し、折ったりして作りました。自分が作ることで、最小限の費用で済みましたし、愛着も持てました。あとは、逗子の現況を調査したり、どういう問題があるのか、市民のみなさまがどんなことを望んでいるのかを調べたり、話を聞いたりするために選挙資金を使いましたが、このような活動にはそれほど大きなお金は必要ありませんでした。いま考えると、もう少し少ない資金でも選挙戦を戦うことができたのかもしれません。

    2回目以降の選挙で資金の増減はありましたか。

    最初の選挙のときは、何も持っていなかったので用意しなければならないものも多かったのですが、購入しなければならないものも減りましたので、大げさに言えば半分ぐらいの資金で済むようになりました。ただし、より読みやすくするために印刷物をモノクロからカラーにするとかした部分もありますので、半分以下までは削減できていないかもしれません。

    無所属、支援団体なしの選挙活動

    選挙活動をサポートしてくれる方はいましたか。

    最初の選挙の時は、無所属で、地元に組織的な支援者がいたわけではなく、妻も仕事がありましたので、選挙前は自分一人で活動していました。

    選挙中は、大学時代の友人やウインドサーフィンの仲間など20人ほどがボランティアとして手伝いに来てくれました。とはいえ、みんな仕事があるので、各自時間の空きがあるときだけです。それでも、本当に助かりました。

    いま考えると、ウグイス嬢も素人でしたし、上手な戦い方ではなかったのかもしれません。しかし、気持ちはこもっていたと自負しており、そういうところが市民のみなさんに共感していただけたのでは考えています。

    ボランティアの方はどのように集められたのですか。

    電話で連絡したり、直接依頼をしたりといった感じです。仲間が知り合いを連れてきてくれることもありました。

    勝ち抜くための戦略

    少ない選挙資金と運動員。そのような状況下でどのように選挙戦を戦われたのでしょうか。

    「限られた時間の中で、するべきことを明確にするため、タイムマネージメントがカギとなります」

    選挙活動では、明確かつ厳密なスケジューリングをすることが大切だと思っています。候補者の中には神輿(みこし)に乗って言われるがままにスケジュールをこなす方もいるようですが、私の場合は有権者の反応、候補者の体調、天候などを鑑み、柔軟にスケジュールを変更しながら活動した方が、候補者およびスタッフが良いテンションを維持したまま選挙戦を戦えると考えています。

    また初当選の時も今回も、限られた費用とスタッフで選挙戦を戦ってきましたので、このような戦略を最大限に生かすことができたのかもしれません。

    なぜスケジューリングが大切と考えているのでしょうか。

    はじめて選挙に出馬する人は、やらなければならないことがたくさんあります。しかし、時間は限られている。そのため、いつまでに何を行う必要があるのかを抽出し、それを日々のスケジュールに落とし込んでいくことが重要だと考えるからです。そうすれば、最小限の選挙資金とスタッフでも、取りこぼしをなくし、時間を最大限有効に使うことができるからです。

    また、特に選挙が近づくにつれて、他の候補者の動きも見えてくるため、ビラ配りや街頭演説など「もっと活動量を増やさなくては」と不安を感じるとこともあります。しかし、活動できる時間には限りがあるため、どこかで線を引かなければなりません。その見極めをするためにも時間を管理しておくことはとても重要になります。

    もちろん、他の候補者の動きに気を取られないことも大切です。しかし、他の候補者の動向を無視してもいいと言っているわけではありません。活動の中身や質に関しては常にチェックをしながら、良い所は真似をする、もしくは取り入れるという柔軟な姿勢を持つことも必要だと思っています。

    2010年3月の逗子市議会議員で高野氏が使用した高野流スケジュール表。
    だれが、いつ、どこで何をしているのかが一目でわかるようになっているので、無理や無駄をなくし、急な変更にも柔軟に対応でき、効率的に選挙戦を戦うことができるようになっている。(資料提供:高野たけし氏)

    勝ち抜くための心構え

    その他に注意することなどはありますでしょうか。

    選挙がはじまると、初日から環境が一変します。ボランティアなどのスタッフも増えるし、演説をしていても聞いてくれる人の雰囲気も変わるからです。何度も選挙を戦ったことのある人であれば、そのような環境変化の中でも自分をコントロールし、上手にアピールできるかもしれません。しかし、そのような雰囲気に慣れていないと緊張感にさいなまれてしまったり、逆にテンションが上がりすぎてしまうこともあるでしょう。

    そこで自分をアピールするためには、ある程度、環境の変化に身を委ねてしまうというのも悪くないと思います。ただし、身を委ねすぎてしまうとテンションが上がりすぎて周りが見えなくなり、自分の言いたいことばかりが先走ってしまう。だから歯止めを掛ける意味でも、7割は身を委ね、残り3割は冷静に自分を見つめることができれば最高だと思います。

    政治家として経験がないことや年齢が若いということで不利だと感じたことはありませんでしたか。

    最初は知られていないのは当たり前。期待はあっても信頼がないのは当然です。それは気にしても仕方のないことなので、年齢も経験不足も特に有利だとか不利だとか感じませんでした。それに選挙戦は、砂漠に水を巻くようなもので、その場で結果が見えることばかりではありません。とにかく、できることを精一杯やるだけでした。

    初選挙のエピソード

    選挙中のエピソードなどありますでしょうか。

    配っていたチラシを見ず知らずの人に目の前で破られたことがありました。その方が、なぜそういう行為をとったのかはわかりませんでしたが、正直ショックではありました。しかしこの時、こういう人にも信用されるような政治家になろうとあらためて決意を強くすることができました。

    一方、ある寒い日、辻立ちをしている自分の冷たい手を初老の女性がさすってくれたこともありました。そのときもすごくうれしかったのですが、その女性から後日、励ましの手紙を受け取ったときは、もう涙が止まらなくて。いまでもその手紙は大切に保管してあますが、こういう人のためにもがんばってみなさんの役に立つ仕事ができるようになりたいと思いました。

    これから出馬する人へのアドバイス

    これから出馬する人へのアドバイスがあればお聞かせいただけますか。

    「明確な政策ビジョンを持って立候補することが重要です」

    私も、最初は当選する自信どころか、自分の行動や感覚がどう票に結びついているのかもわかりませんでした。ただ、一つだけ言えることは、当選するための選挙活動しかやっていない人と、当選したあとに何をするか考えて選挙活動を行っている人では、有権者の方に伝わるものが違うということです。そのためにも、明確な政策ビジョンを持って立候補することが重要だと思います。

    また、選挙前も選挙中もしなければならないことが多く、スピーディにものごとを進めていかなければならないので、自分をサポートしてくれる仲間がいれば心強いと思います。

    では最後に、生まれ変わってもまた政治家になりたいと思いますか。

    もちろんです。特に市議会議員という仕事はたくさんの市民のみなさんと触れ合うことができるし、成果を上げればその結果がダイレクトに跳ね返ってくる、とてもやりがいのある仕事です。これからも、市民のみなさんのため、できることを精一杯やっていきたいと思います。

    本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。

    ※ 取材日時 2010年4月