「25歳の私の弱点は、人脈不足でした。だから、地元名士を説得して、陣営に参加してもらいました」

「25歳の私の弱点は、人脈不足でした。だから、地元名士を説得して、陣営に参加してもらいました」

松本義明さん(25歳)は、2013年3月17日の埼玉県 入間市議会議員選挙(定数22人)に初出馬。候補者25人中、第3位の得票数で当選されました。弱冠25歳の松本さんが、どのようにして3位当選を果たしたのか伺いました。

インタビュー内容

    松本義明さんのご紹介

    自己紹介からお願いいたします。

    入間市議会議員の松本義明です。生まれも育ちも入間市。両親、兄、弟の5人家族の中で大きくなりました。

    出馬前は、要介護者(※)の一時預かり、宿泊、訪問介護サービスなどを行う高齢者福祉施設に、介護職員として勤務。現在も、非常勤の介護職員の立場で、週一回、同じ施設で働いています。
    ※要介護者:要介護認定で支援や介護が必要と認定された人

    「被災地で、地方自治の重要性を感じました」

    出馬までの経緯をお聞かせください。

    もともと、将来の選択肢の一つに、政治家を考えていました。 社会福祉専攻の大学院生時代には、リアルな政治を体験する「国会議員インターンシップ」に参加しました。インターンシップの最中に、東日本大震災が起きました。

    松本義明
    被災地での経験が、出馬につながった

    私がボランティアとして入った被災地は、そもそも、「地域のことは地域で決める」地方自治の体制が、根付いていなかったため、非常事態にも関わらず、「県や国の指示待ち」状態でした。指示待ちが、対応を遅らせ、事態を悪化させていました。

    私は、これを目の当たりにして地方自治の重要性を痛感し、市議になって生まれ育った入間市を守ろうと決意しました。
    被災地から戻った後、コネもツテもなかった地元出身の衆議院議員を訪ね、志を話し、学生秘書にしていただきました。

    出馬の前年には大学院を卒業、出馬に備えて学生秘書を辞め、先ほどお話しした高齢者福祉施設に勤務しながら政治活動を始めました。そして2013年3月、市議選に出馬したわけです。

    ご家族は出馬に賛成されたのですか。

    いいえ。最初は、「世間に顔をさらすことになる。落選するかもしれない。そもそも、なんで政治家なんかになりたいんだ」と反対しました。 でも、反対されても、毎朝6時30分の駅頭活動をひとりで続ける姿を見て、だんだん応援してくれるようになりました。

    若い候補者ならではのメリット、デメリット

    ここからは、選挙について伺っていきます。松本さんは25歳で出馬されました。若い候補者ならではのメリット、デメリットをどう考えていましたか。

    メリットは、若さそのもの。
    今、有権者の方は、若い政治家を求めていますから。

    一方、デメリットは、人脈の不足。
    ここでいう人脈とは、選挙のための人脈。自治会長さんなど、地元の名士である方々との結びつきです。名士のみなさんは、私よりかなり年上の先輩世代ですから、私のことを知ってもらい、応援を得るための機会は、なかなかありませんでした。

    よく、若い候補者のデメリットに、資金不足が挙げられますが、市議選にかかる費用は、がんばって働けば貯められる程度。なんとかなるので、デメリットとは考えませんでした。

    なぜ、地元名士との結びつきの弱さが、若い候補者のデメリットになるのか

    なぜ、地元名士との結びつきの弱さは、若い候補者のデメリットであると考えましたか。

    松本義明地元で力のある方々の応援が得られにくくなり、落選リスクが高まるからです。
    衆議院議員の学生秘書だったころ、地方選挙を手伝いに行った時、若い候補者が、力のある先輩世代が参加していない、同世代だけのチームで戦って敗れた例を、少なからず見ました。

    地域の有力者の方たちが、後ろ盾になってくだされば、こういう人たちの人脈を基に、支持を広げやすくなります。 また、中には選挙戦の経験を持つ人たちもいますから、いつ、どんな活動をすれば効果的かといった、選挙ノウハウなどを手に入れて、若さゆえの経験不足も補えます。

    一方、若い仲間だけの陣営では、地元名士を通じた支持の当てがないため、浮動票頼みになりがちです。しかし、自治体の地域コミュニティのきずなが強い場合、面識もない候補者に、ポスターだけ見て投票することはあまりない。浮動票頼みは、リスクが高いんです。
    しかも、若い世代だけで戦うので、選挙戦の経験不足は解決しないままです。

    私の地元、入間市は、周辺地域の合併で誕生しているため、地域コミュニティのきずなが強い。ハイリスクな選挙戦を避けるためには、地域で信頼されている方の後押しが必要なんです。こういう状況では、地元名士との結びつきの弱さが、デメリットになるわけです。

    メリット、デメリットを踏まえ、どう戦ったか

    それでは、若いというメリットをどう生かし、人脈不足のデメリットには、どう対応しましたか。

    まず、若さは、テーマカラーをオレンジにしたり、ポスターなどで年齢を大きく表示したり、キャッチコピーを「入間の未来」にしたり、自転車で遊説したりなどして打ち出しました。「入間の未来」には、若いからこそ、将来への責任を持って政治に取り組むという意味があります。 一方、人脈不足は自分だけでは解決できないので、まず、地元名士の方を説得して、陣営に参加してもらい、それから、その方の紹介で、人脈を広げていきました。

    政治活動、選挙運動の主な内容を、具体的にお聞かせください。

    選挙の前年の5月ごろから、政治活動をスタートしました。駅頭活動やビラ配り、一般の有権者の方へのご挨拶から始めました。政治活動前半の山場は、後援会会長を引き受けてくれるよう、70代の自治連合会会長を説得すること。半年ぐらいかかりました。

    後援会会長が決まってからは、会長人脈をフル活用しながら地元の有力者をお訪ねして、後援会の名簿を充実させたり、選挙に関する情報を集めたりしました。告示後は、公選ハガキ出し(※)、電話作戦(※)などの事務所作業はボランティアスタッフにお願いして、私は駅頭や街頭での演説と遊説に全力を注ぎました。松本義明

    ※:公選ハガキ:選挙運動期間に、有権者に出せる投票依頼ハガキ。公職選挙法で枚数が制限されている。直接ポストへ投函すると文書違反となる。
    ※電話作戦:選挙運動期間中、電話で立候補者への投票、応援を依頼すること

    費用は、政治活動、選挙運動で、それぞれ100万円ぐらい。費用の大半は印刷物代です。チラシ10万枚、リーフレット1万枚、名刺1万枚ぐらいを作りました。手作りの選挙カーも、コストがかかりました。若さを強調する狙いで、デザインに力を入れたので。

    松本義明さん流「地元名士の説得術」

    後援会会長を説得するのに、半年近くかけたとのお話でした。半年の間、主に、どのような働きかけをされましたか。

    まず、後援会会長候補に、市議を志した理由や自分なりの入間市の未来構想をお話しして、力を貸していただきたいと、繰り返し、お願いしました。

    会長候補は、最初から一人に絞っていました。会長を引き受けてもらえないリスクを考えると、候補を何人かリストアップして、お願いしてダメだったら次の候補にアタックするという形の方が、リスクは低い。でも、私は、「あなたが必要なんだ」と言葉だけでなく、行動でも示したかったので、一人の候補に絞り、受けていただけるまで、お願いし続けました。誠実な態度は、信頼関係を育んでくれます。何としても引き受けていただくつもりでしたが、万一、ダメだった場合は、若者だけの陣営で戦う考えでした。

    それから、後援会会長候補には、私の政治活動の状況を報告したり、地元の名士の方々の交友関係など、地域の情報を教えていただりしました。会長就任依頼と並行して、有権者の方へのご挨拶を始めていたので、地域の情報が必要だったんです。結果的に、この状況報告や熱心に情報収集する様子で、会長候補に私の本気を印象づけられたかもしれません。

    一人の会長候補に一途にアタックされたんですね。初アタックから、後援会会長が決まるまでの具体的な経緯をお聞かせください。

    松本義明後援会会長は、私が暮らす地域の自治連合会会長(以下、自治連会長)でもあります。自治連会長は、私が地元出身の衆議院議員の学生秘書だったころ知り合った、地元名士の一人でした。いっしょに地方選挙を手伝ったり、会合で言葉を交わしたり、周囲の評価を耳にしたりするうちに、選挙に通じた、人望のある方だと分かりました。

    普通、この程度のお付き合いでは、後援会会長は引き受けていただけません。でも、どうしてもこの方にお願いしたかったので、選挙前年の5月ごろに、「選挙のことでお会いしたい」と連絡を取り、ご自宅に伺いました。

    私は、緊張して、後援会会長就任の話を切り出しましたが、自治連会長は、いつも通りの落ち着いた様子でした。
    以前、何度かパーティーの席などで、市議選に出馬する考えをお伝えしていたので、予想されていたのかもしれません。
    「もっと(後援会会長として)いい人がいるでしょう」
    言葉を尽くしてお願いしましたが、やはり断られました。

    それから引き受けていただくまでの半年間で、就任依頼で足を運んだのは5回ぐらいですが、それとは別に、週1回~2回はお宅におじゃましたり、電話でお話したりしました。
    「近くまで来たので、ご挨拶に」
    「名刺ができました」
    「リーフレットを見ていただけますか」
    ちょっとしたことを口実におじゃましては、政治活動の状況を報告したり、地域の情報を教えていただきました。

    自治連会長から、どの地域は、どの市議候補の支持者が多いかなどを伺い、どのように挨拶回りを進めればいいかなどを相談させてもらいました。ほとんど「作戦会議」状態でした。
    自治連会長が不在で、会長の奥さんから、ゲートボールの会のまとめ役や、私を応援しているという有権者の方を教えていただいたこともありました。

    「熱心だね」
    自治連会長は、足しげく通ってきては、あれこれ尋ね、会長のお話を丁寧にメモしている私に感心されたようでした。
    そのうち、「今日はお茶だけ飲みにきました」と顔を出し、選挙とは関係ない話題でおしゃべりするようになりました。今で言えば、アベノミクスやTPP問題など、新聞の一面に出ているような話題です。

    「後援会のほうは大丈夫なの?」
    「○○さんに会長になっていただくまでは、後援会は活動しません」
    自治連会長は、だんだん私のことを気にかけてくれるようになっていきました。

    こうして、説得を始めてから約半年後の11月頃、自治連会長が、「(後援会会長は)オレが、やるしかないみたいだね。後援会の会議をいつ、だれを呼んで開くか決めよう」と言ってくださいました。
    この時点で、選挙までわずか4カ月程度。やっと会長が決まった喜びを感じる余裕もなく、後援会会長の力を借りながら、地元の名士回りなど、政治活動の最重要課題に必死で取り組み始めました。

    松本さんは、もともと自治連会長と顔見知りでした。地元名士と全く何のつながりもない若い候補者の場合、どうすれば地元名士に後援会会長を引き受けてもらえるでしょうか。

    まずは、自治会など、地元で信頼されている方たちが集う場に顔を出して、名士と知り合う機会をつくることです。
    地域を支えてきた先輩世代は、出馬して地元に尽くそうという後輩を歓迎してくれます。知り合ってしまえば、後は、本人のがんばり次第で、道は開けるのではないでしょうか。

    地元名士のおかげ! 予想を超えて人脈が広がり、貴重な情報やノウハウもゲット

    さて、無事、後援会会長が決まり、いよいよ会長の紹介で、人脈を拡大できるところまできました。具体的に、どのように進めましたか。

    松本義明後援会会長には、地元や近隣の自治会長さん、元市議の選挙を手伝っていた方など、地域のキーマンや選挙に通じた方に声をかけたり、こうした方々へのご挨拶に同行したりしていただきました。私一人で訪ねて行ったら、こういう方たちとは、お会いできなかったと思います。

    お訪ねした方から、また別のキーマンを紹介していただき、どんどん人脈を広げていきました。紹介していただいた中には、地元の体育協会や安全協会の会長さんなど、私が見逃していた地域ネットワークの要となる人も含まれていました。こうして、100人ぐらいの地元名士の方々にお会いしました。

    紹介されたキーマンたちは、選挙戦の経験不足を補ってくれましたか。

    はい。みなさんから、市議選に絡んだ地域の動きや、選挙戦のコツなどを伺って補いました。

    「今度の市議選の候補者は、こういう顔ぶれになりそうだ」
    「今、この人のところに行けば、応援がもらえそうだよ」
    「あいさつ回りは、あまり早く行くと顔を覚えてもらえないから、もう少し待ったほうがいい」

    どこの地域の票が、どう動きそうか、そこに私の入り込む余地がありそうかを教えてもらったこともありました。長く地域のネットワークの中心にいる方、選挙に関わった経験のある方ならではの情報や知恵でした。

    なにしろ、私を支えてくれたボランティアスタッフは、みんな私と同年代で、だれも選挙戦の経験がない。中には、選挙に一度も行ったことがないスタッフもいました。こういう状況でしたから、選挙に通じた人たちから伺ったお話は大変貴重でした。
    いただいた情報は、政治活動、選挙運動に反映させていきました。

    あいさつ回り 「話すより、聞くことが大事」

    地元名士の力で、若い候補者ならではの課題は解決したようですね。ところで、地元名士以外の、一般の有権者へのあいさつ回りは、どのように進めましたか。

    自分の出身地域を中心に、ひとりで回りました。
    ローラー訪問も行いましたが、多少なりともつながりがある人を訪ね、関係を深めて、票に結び付けるようにしました。お世話になった幼稚園の先生まで訪ねました。でも7割ぐらいの方は、ドアすら開けてくれませんでした。セールスマンと勘違いされたようです。

    見ず知らずの方を訪ねるのは、緊張します。のどはカラカラ、心臓ドキドキでした。
    やっとドアが開いても、最初のころは、緊張して、自分の政策について一方的に話すばかり。ドアを開けてくれた方は「はいはい」と言いながら、「早く帰れ」という表情でした。
    中には、いきなり市政や国政への不満をぶつけてくる方もいました。こういう方には、どう対応していいのかわからず、何も言えないまま、立ちすくんでしまいました。

    会話ができるようになってきたのは、3カ月~4カ月たったころから。話すより、聞くことを重視してからです。

    「あそこの信号は事故が多いと聞いたのですが、いかがですか」
    「このあたりはスーパーがなくて不便だと耳にしたのですが、買い物に困ることはありますか」
    相手の方が興味を持ちそうな、地域の課題を事前に調べておき、これを話題に、向こうの意見を伺うようにしたんです。

    「犬を飼っていらっしゃるんですね」
    話の糸口づくりのために、お家の様子や、相手の表情を見て、相手がもっとも話たいネタを見つけて話題にするのも効果的でした。

    また、厳しい意見をお持ちの方には、まず相手の方のお話をきちんと伺い、今の政治に問題があることを認めたうえで、被災地での経験や議員秘書時代に感じた政治の力、入間市への想いなどを述べるようになりました。初めにちゃんとお話を伺えば、こちらの話も聞いていただけると分かりました。
    個別の訪問では、2,000軒ぐらいのお宅を訪ね、告示日前には約300人分の後援会名簿ができました。

    駅頭活動・遊説 「道行く人に合わせた演説は、聞いてもらえる」

    駅頭活動のほうは、いかがですか。

    松本義明
    毎朝6時30分の駅頭活動

    基本的に、毎朝6時30分に実施しました。政治活動中は高齢者福祉施設に勤務していたので、土日、夜勤の翌日は休みました。場合によっては、夜に行うこともありました。選挙運動に入ってからは、駅頭活動は6時30分と21時の一日2回行い、遊説の合間に街頭演説を実施しました。

    駅頭活動を始めたばかりの頃、友人に、演説する私を動画で撮ってもらったことがあるんです。
    「この人には投票しないなぁ」
    動画を見てそう思いました(笑)。恥ずかしそうに、難しい政策の話をしている私の傍らを、足早に町の人が通り過ぎて行ってました。

    慣れるまで、どのくらいかかりましたか。

    冬の夜の駅頭活動
    「寒くて手足が動かなくなる」

    3カ月~4カ月ですね。
    演説に足を止める人が出てきたのは、道行く人に合わせた話を心掛けるようになってからです。

    例えば、通行人に主婦層が多い時には、あいさつ回りなどで耳にした、主婦層が関心を持ちそうな地域の課題を入れるなど、主婦層に訴えるつもりで演説したんです。不思議なもので、聞き手を明確に設定して演説すると、訴えたい気持ちも高まり、自然に身振り手振りが出て、メリハリのある演説ができるようになりました。

    そうすると、立ち止まって演説を聞いたり、「何してるの?」、「なんで、そんなことしてるの?」と声をかけてくれたりする人が出てきました。そんな時には、市政への考えをお話ししました。

    演説原稿は、全く書きませんでした。いつも、ぶっつけ本番。原稿を頭に入れて、じょうずに演説するより、ぶっつけの勢いで、「若さ」や「本気」を印象づけたかったので。
    駅頭や街頭で、人が演説を耳にするのは、ほんの数秒。細かな内容までは把握できませんから、必要な印象を残せれば良しと考えました。訴えたいポイントだけ押さえておき、周囲の人の顔ぶれに合わせ、その場でメインの話題を決めたり、表現などをアレンジしながら演説しました。

    駅頭活動は慣れるまでタイヘンでしたが、とても感激したこともありました。
    凍えるような風が吹く1月の夜に、いつものように駅頭活動をしていた時でした。
    「寒い中、がんばって下さい」
    姉妹らしい、小さな女の子たちが、お母さんに連れられてやってきて、温かいコーヒーを手渡してくれたんです。

    それは嬉しいですね。松本さんの本気を感じてくれたようですね。そのような、地域の人とのふれあいにもつながる駅頭や街頭での演説、遊説を、選挙運動中に行う際、注意していたことはありますか。

    駅頭活動は、朝は6時30分~8時、夜は21時~0時の一日2回、同じ場所で行いました。自分の印象を強めつつ、地域の人が私に声をかけやすくするためです。
    朝、出勤中に、演説を耳にして興味を持った人は、仕事帰りに、また私を見かけると、話しかけてきてくれるんです。

    また、遊説はウグイス嬢任せという候補者の方が少なくないのですが、私は、ほとんど一日中、自転車か選挙カーで遊説しました。若さをアピールし、顔を覚えてもらおうと考えたんです。候補者本人が走り回っている姿は、一生懸命がんばっている印象を与え、票につながったと思います。松本義明

    選挙カーの運転など、選挙戦をサポートするボランティアスタッフは、どうやって集めましたか。

    中心となったスタッフは、出馬を決めた時点で、元同級生、私が参加している消防団や青年会議所の仲間に声をかけて集めました。後から加わったスタッフの大半も、友人たちです。駅頭活動をしているところに、たまたま通りかかったり、私の出馬を伝え聞いたりして、「手伝うよ」と自主的に参加してくれました。選挙運動中には、20人ぐらいになっていました。

    「スピード」「総合ショップ」が、選挙グッズ・選挙用品店選びの条件

    さて、それでは次に選挙グッズ、選挙用品について伺います。どういう条件で、選挙用品店を選びましたか。

    スピードと選挙用品を総合的に扱っていることです。
    政治活動を本格化させたら、1分単位でスケジュールを組んで動くようになります。とにかく時間がない。選挙用品のオーダー、問い合わせ、修正など一連の作業もスピーディーに進めなければなりません。
    また、デザインの統一性や打ち合わせの手間を考え、用品ごとに違う店にオーダーするより、選挙用品の総合ショップに一括発注したほうが良いと考えました。

    選挙用品ドットコムを利用するまでの経緯をお聞かせください。

    選挙用品ドットコムさんは、選挙用品ドットコム代表の田村さんの本(「28歳で政治家になる方法」)で知りました。
    周囲からは地元の業者さんを推薦されたのですが、総合ショップではなかったので見送りました。

    選挙用品ドットコムさんは、ネットショップだから、昼夜を問わず、スキマ時間にメールで指示を出せば、作業を速く進められる。しかも、特定の選挙グッズや選挙用品しか扱わないネットショップが多い中、選挙用品ドットコムさんは、総合ネットショップだったので、試しに政治活動用のたすき、しばらくして立札看板をお願いしてみたんです。

    「ざっくりした指示でも、分かってくれる。時間と手間が省けて、選挙に集中できた」

    実際に、選挙用品ドットコムに注文してみて、いかがでしたか。

    いちいち細かい指示を出さなくても、こちらの要望を押さえたものが出てくるので、時間と手間が省けて、選挙に集中できました。

    たすきを作る際に、電話で一度打ち合わせをして、「名前、顔、年齢を売りたい。テーマカラーはオレンジ色」などの要望を伝えました。でも、その後、看板を注文した時には、「たすきと同じイメージで作ってください」と、かなりざっくりした指示をメールしただけ。それでも、私が思い描いていた通りの看板が、ちゃんと出てきました。
    「このショップさん、いいかも」と思い、そのほかの選挙用品もオーダーしました。松本義明

    ポスターをお願いした時も、最初に提示された白地に縦型のサンプルに対し、私からは「他の候補者と同じにしたくない。(ポスターを)目立たたせる方法を考えてください」と伝えただけ。おおざっぱな指示でしたが、名前、顔、年齢が目を引く、選挙ポスターとしては珍しいヨコ形のポスター案が出てきました。支援者からも「若さが伝わってくる」と好評でした。

    選挙用品ドットコムさんは、候補者が時間に追われていることや、選挙用品のデザインのツボを心得ているから、ざっと伝えただけでも、すぐ動いてくれるし、的確な案を出せるのだと思います。松本義明

    本で学んだテーマカラーを実践 「有権者に覚えてもらえた」

    先ほど、田村代表の本を読まれたと伺いました。感想をお聞かせください。

    出馬を決めてから、ずいぶん選挙本を読みました。田村さんの本は、若い候補者向け選挙本の中で、分かりやすさでベストスリーに入ります。選挙戦のテクニックが知りたくて、選挙本番まで何度も読み返しました。

    特に役に立った内容は、まず、「90日当選スケジュール」(※)。当選に向けて、いつ、何をするべきか具体的に書かれていたので、とても助かりました。

    それから、テーマカラーのPR効果(※)。これは実行してみて、効果を実感しました。私は、選挙グッズや選挙用品はもちろん、身に付けるダウンジャケット、ネクタイ、シャツ、手袋、靴、鞄まで自分のテーマカラー、オレンジ色で統一。ボランティアスタッフにも、オレンジ色のジャンパーをはおってもらいました。駅頭活動、あいさつ回り、遊説と常にオレンジ色で通した結果、有権者の方から「オレンジの松本くんね!」と声をかけられるようになりました。テーマカラーで、全く無名だった私の顔と名前をおぼえてもらえました。松本義明松本義明

    選挙の勝因

    これまで伺ってきた政治活動、選挙運動を積み重ね、松本さんは、第3位の得票数で当選されました。勝因はどういう点にあったとお考えですか。

    松本義明
    当選に沸く松本さん陣営。
    若いスタッフに交じって、先輩世代の姿も

    25歳で出馬するメリット、デメリットをわきまえて、活動していったことです。

    若い候補者ならではの行動力で、早朝の駅頭活動やあいさつ回りを続け、自ら汗をかいて遊説しました。駅頭活動を続けたおかげで、それなりに演説が上達し、みなさんに想いを伝えられるようになりました。これも勝因の一つかと思います。

    一方、人脈不足のデメリットは、チームワークでカバー。地元名士のみなさんに参加していただいた、応援団の力を借りて、支持してくださる方を増やしたり、選挙の経験不足を補いました。

    若い候補者へのアドバイスと今後の抱負

    若くして出馬を目指す方へのアドバイスをお願いいたします。

    政治には、若さが求められています。ぜひ出馬してください。
    ただし、政治家になって、何がやりたいのかをを明確にしておく必要があります。慣れない駅頭活動やあいさつ回りなどで辛い思いをしても、「これをやりたいから、がんばるんだ!」と、ブレずに戦い抜けます。また、これまでお話ししましたように、若さの弱点補強を意識した、勝つための応援団づくりを忘れないでいただきたいです。

    最後に、今後の抱負をお聞かせください。

    私は、選挙戦の間中ずっと、演説の中で、投票に行くよう呼びかけてきたのですが、今回、投票率は、過去最低を更新しました。これからは、市民の行政への参加を促すような、選挙以外のシステムや行政のあり方について検討していきます。また、福祉の現場経験を、入間市の政策や制度につなげていきます。25歳で当選させていただいた意味をよくかみしめ、自分なりの信念を持って毎日の活動を積み重ねていきたいと考えています。

    お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

    【編集後記】
    「25歳で3位当選!?票集めに苦労する若手新人候補が少なくないのに、どうして松本さんは多くの票を集められたのか?」

    松本さんへの取材は、この大きな疑問から始まりました。
    取材中、「地元名士を説得して、後援会会長を引き受けてもらった」と伺った時には、学生秘書時代に身に付けた「必ずYESと言わせる巧妙な作戦で?」などと深読みしてしまいました。しかし実際は、本文で紹介したとおり。
    松本さんの信念、誠意、行動力が、名士の心を動かしたようです。「カネなし、コネなし」といわれる若い候補者の最大の武器は、これら3つかもしれないと、あらためて思いました。

    始まったばかりの松本さんの政治家人生、今後、大きく花開いていかれるのを、ぜひ拝見していきたいと思います。

    ※ 取材日時 2013年5月