「”若手政治家 首長当選A市長”」

「”若手政治家 首長当選A市長”」

2017年 ○月、市長選挙で初当選されたA市長に、お話しを伺いました。

インタビュー内容

    子どもの頃から社会を良くしたいと思っていた。いま、やっとスタート地点に立てた

    大変注目された選挙でしたが、ご当選おめでとうございます。これから選挙に出る人に向けて一助になればと、先輩のアドバイスや体験談をお伺いします。

    若手A市長
    写真はイメージです。

    市長選への立候補を決められたのは身内の方のご病気があり、そこから地元に興味を持たれたとのことですね。
    直接のきっかけはそうですね。ただ実は大学生の頃から、将来政治家を目指したいという気持ちは持っていました。

    大学生からですか?

    遡ればもっと早く,小学生の頃には漠然とですが,もっと世の中を良くしたいという気持ちを持っていました。ただ,初めからゴール(政治家)を目指すのではなく,いろんな経験を積んで40歳頃には首長を目指そうと思ったのが大学生の頃ですね。

    首長を目指す時には、ステップアップしていくイメージがありますが、最初から首長をと思っていたのですか?

    良く言われました(笑) でも段階を踏まなければと意識したことはなく、全く別の仕事だと思っていました。市長として活躍されている方の中には、議員経験がない方もたくさんいらっしゃいますよね。だから絶対必要条件だと思ったことがないんです。

    色々経験を積んでという事ですが、このタイミングでの出馬は、熟していると思われてていましたか?

    いえ、全然!!視点を自分に置いたら早いと思いました、勝率は高い方が良いと思っていましたので。若いということは市議ではプラスに働いても、市長ではそうではないと思っていました。けれども、地元の状況を冷静に考え、状況や行政システムまで見て検討しました。あと4年持つだろうかと。そして、立て直すのなら早い方が良いと思い決断しました。

    地元とはいえ、自治体の財務状況や政策まで関心を持って見られている方は滅多にいないと思います。何を機会に市政に興味を持ち、詳細に調べるという情熱を持ったのでしょうか?

    ゆくゆくは地元の市長になりたかったので、HPは見ていました。それほどじっくり読んでいたわけではないのですが、「教育の問題が良くない」と聞けば、教育委員会のサイトを見てみようかなと。そういうことを日常的にしていました。

    地元でそういう話を聞いても、我が事にはなかなかならないのではないですか?

    地元を離れて仕事に就いていましたが、結婚したら戻ってこようと思っていたんです。
    だから私にとっては非常に「我が事」だったわけです。

    今回の出馬のタイミングですが、もともと興味はお持ちで、環境を見つつ時期を待っていたという訳ではないのですか?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    そうではないですね。経営コンサルティング会社に就職して、30代後半まで働いてから考えようと思っていました。ただ、地元の状況がここまで悪いと思っていなかったんですよね。若者が減っているんです。全国的にそうですが、近隣自治体に比べても減るペースが速い、それは忌々しき事態だなと。

    それは将来の選挙を見据えて選んだ会社だったのでしょうか。

    そうです。民間で経営的な視点を身につけるという事は絶対にやらなきゃいけないと思っていました。経営コンサルタントとして、密度の高い経験を積ませていただきました。

    そこで経験を積みつつ、地元の事にもアンテナを張り、若年層が減っていると気づいたのが、行動に駆り立てられた理由でしょうか。

    その一つにはなりました。地元育ち、地元勤務の先輩と食事をした時に、もうじき子供が生まれるのを機に、他市に家を買うという話を聞いて、「これはいけない!!」と。この町で生まれ、育ち、この町を良くしようと働いている人でも、この町を住処に選ばない。それではこの先、この町は持たないんじゃないかなと強い危機感を抱いたんですね。

    先ほどおっしゃっていた「地元にいろんな問題があって」というのは、このことですか?

    これだけではなく、他にもいくつか良くない話を耳にして。いろんな切り口から良くない話を聞いてしまって、それを自分で調べて裏をとっていくうちに、危機感がどんどん強くなっていったという事です。

    しなやかな強さで、ポジティブに、アクティブに。

    HPを常にチェックしたり、何事においても考えたり調べたり、行動に粘りがあるようにお見受けしますが、生来の性格ですか?

    性格ですね。私、究極的に方向音痴なんですよ(笑) ふたつ道があったらどっちに行こうと迷ったりせず、どっちか片方の道を選んで進む。それで違うなと思ったら逆の道を行こうと。そうすれば答えにたどり着くのではないかと考えるタイプなんですよね。

    分岐で迷うより、動いた方が結果が早いと。

    そうですね。取り返しのつかないことでない限り、迷うより動く。ダメだったら違う道、止まっていてもなにも分からないので。

    では、出馬に際して、勝算を気になさいましたか?

    良く聞かれるんですけど(笑) 私は底抜けにポジティブなので、なぜか「勝てる」と最初から思っていたんです(笑) 選挙のプロの方にも「勝率は1%」と言われましたが、市議会の方々の状況、関係団体の思惑、現市政への不満…そういうのをヒアリングして、先程の課題を分析していくなかで、自分の中では当初根拠のなかった勝算が、確信に変わっていきました。

    個人の立場で、自ら積極的にコンタクトを取って活動されたという事でしょうか。

    若手A市長そうです。議員の方に対しても「市民ですが…」と問い合わせをしました。市民からの問い合わせは、なかなか断れませんからね(笑)

    自分で考えてどんどん切り込んでいく行動力はスゴイですね!いろんな方に期待されているという記事が多いのも納得です。市長選に立候補するにあたり、勝算はヒアリングで確信したという事ですよね。

    地元の過去の選挙や、党別の数字、年齢層別支持率などを全部自分で算出しました。

    ご自身でですか?コンサル出身で選挙に出られる方はいらっしゃいますけれど、仕事での実績や経験を自身の選挙で活かそうとしてもうまくできないという事のほうが多いように見受けられます。その点もご自身でクリアにされていたとは、本当に驚きです。

    確かにマニュアルはないので難しいかもしれませんね。ただ,そういう仕事をしていたので柔軟にできたのが良かったんでしょうか。

    家族や友達は最高の支援者。けれど何をしてもらったらいいのかわからず…

    立候補にあたり、迷われたことはありませんでしたか?

    父が亡くなったばかりで母の精神的ショックが大きく、そこでさらに息子が選挙に出るには心的負担が大きいのではないかと悩みました。「ダメ!」などと止めてくれるタイプでもなかったので、口げんかもなく…落ち込んでいる気持がわかるだけに、逆につらかったです。申し訳ないというか。

    ご家族に相談されたタイミングと、その時の反応を教えていただけますか。

    若手A市長
    写真はイメージです。

    母親にはかなり早い段階で打ち明けました。
    楽しそうではなかったですね(笑)なんで?って強く思ったのではないでしょうか。ただ、昔から小出しにしてたので、意外ではなかったと思いますよ。逆に9歳上の姉は、「いいじゃん」みたいな感じで。

    お姉さんがそう思われた理由は何でしょう?弟の能力を非常に評価していたのか、それとも弟が戻ってくるのが純粋に嬉しいということでしょうか?

    姉はどちらかというと盲目的に弟を信じてくれるんです。なので、前者ですかね。姉の同級生の方たちも手伝ってくれました。あと、地元の同級生や仲の良い友人たちに打ち明けた時に「当然だろう」みたいな反応をしてくれて、それがすごく嬉しかったです。

    ずっと言い続けていて、「やっと戻ってくるのか!やっと出るのか!」と?

    ついに出るのか、と(笑)

    市長に出るというのも特に驚かれたりしなかったんですか?

    地元の同級生や知人も、出ると思ってた、違和感ない、そんな感じで(笑)

    地元の方とは、地元を離れていてもコンタクトを取っていたんでしょうか。

    それほど数は多くない友人ですが、最初に打ち明けたのは5人くらいですかね。少ないからこそマメに連絡を取っていたのかもしれません。

    そこから始めて支援の輪を広げていったわけですね。実際に周囲の皆さんにあたりまえだと受け入れてもらえた環境だったということですが、声をかければ手伝ってもらえる状況だったのですね。

    若手A市長
    写真はイメージです。

    そうです。けれど、私が人生で初めての経験だったので、「手伝って」と声をかけることはできても、何を手伝ってもらえばいいのかわからなくて。選挙のお手伝いすらしたことがなかったんですよね。

    選挙自体が初めてだったんですね。

    そうです。全くの初めてでした。

    出馬を決めて取り組んだのは「ひきこもり」。あえて誰にも合わず、知識をストックし続けた日々

    そうでしたか。では、最初にやったことは何だったのでしょう?

    行政資料を読み込むことでした。選挙に出ると言ったからには、普通は外に出て人に会って話すと思うんですが、私はずっと家にこもりきりで分厚い資料を読んでました(笑)

    愚問かもしれませんが…なんのために?

    状況が正確にわかってなければ、正しい主張ができないと思うんですよ。議会の何年分の議事録を読み込み、現状だけでなく先のビジョンや予算のことなども徹底的に頭に叩き込んでいきました。曖昧なことや一時しのぎで勝てるほど甘い状況ではなかったので、その為にですね。

    ここからはもう自己流で?

    そうです。人脈も何もない自分は、熱い想いだけではだめだと。冷徹なまでにデータで攻めようと決めました。でも誰にでも分かりやすいデータにまとめて、偉い人のところに行って「こういう状況だから、今変えないといけないんです」と説明する…そんな感じでしたね。
    そうやって一人ひとりに話して歩いていきました。

    徹底してますね。で、相手の反応は狙い通りでした?

    市長選を考えてますと言った段階で、ことごとく鼻で笑われました。自分が逆の立場だったらそうですよね。いきなり来て、「市長を目指してるので話を聞いてください!!」なんて言われても、呆れますよね。難しいのは重々承知、だからこそ、「でも聞くだけお願いします!!」と食らいついていきました。

    聞いた後の反応はどうだったのでしょう?

    地元ながら、こんな状況になっているとは知らなかったと。変えなきゃいけないな、という反応が多かったです。

    そこから、出る機会があったら協力するよ、と進んだわけですね?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    いや、ならなかったです(笑)しかし当時の市政に疑問を持っている方も少なからずいたようで、私の気持ちに共感してくれても、表立っての支援はできないという人たちがボチボチ出てきて。

    表立って応援してくれないという事は、票が見えないという事ですよね?

    そうです、全くわからずです。ただそれは相手陣営にも言えることですよね。でも、一人に共感してもらったら、そこから人脈伝いに次々紹介をいただけたんです。それはすごく励みになりました。会える人にまず会いに行く、会えたらしっかり聞いてもらう。それが最優先ですね。

    会える人から、それは参考になりますね。

    但し、社会常識的に、町内会長さんから…など、順番はありますよね。

    実際の準備、行動はいつから開始されましたか?

    父親が亡くなってから約4ヶ月後には会社を辞めて本格的に始めました。

    行動は、地元の名士を回るという事ですか?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    そうですね。動くという決断はすぐに下しますが、実際に動く前に準備は念入りにするタイプなので、会う相手のことはもちろん、話すことまで綿密に準備して、人間関係まで調べました。でも、選挙の本にはグレーゾーンの事が書かれていないし、教えてくれる人もいない。そこでネットで選挙プランナーを探しました。わからないことを教えてもらうには、プロが一番ですよね。

    組織として後援会ができあがるまではどうでしたか?

    親しい友人の親戚が議員秘書をしていたので,誰に会えばいいとかアドバイスもらえたのが大きかったです。彼も若い世代で政治を変えようとして、自分で政治団体をつくってビラ配布などの活動をしていたので、色々教えてもらいました。あと、先輩が隣市で市議会議員をしていて、かつて衆議院議員秘書時代の仲間が、こちらに入ってくれると。それに加えて、学生時代の休学中に長期インターンをしていた会社の友人から、内定者を紹介してもらって彼は「最年少事務局長」として選挙を仕切ってくれました。あとは前職の友達。この4人で最初の体制を作りました。この体制になるまでも結構時間がかかったんですが、やっとそこから戦略に沿って動き出したと。ただ、プロ目線では勝てるわけがないと、思われたで
    しょうね(笑)

    選挙を戦う貴重な同志を口説き落としたポイントはどこだと思いますか?

    私が落ちるとかそういう問題ではなく、未来がかかってるんですよ!!という勢いと、本気度ですかね。ひたすらお願いしました。とある著名な選挙プランナーの方にも協力をしてもらいましたが、最初は結構冷たかったんですよ。「あなたは若すぎるし地元の活動実績もない。相手は市議を4期やって2回目の挑戦で市長に当選した二期目の現職。勝てたら奇跡だと思ってやって下さい」みたいな(笑)でも負けずに喰らいついていきました。
    念入りに準備をした資料を見せて、熱意をもって話をしたのが響いたようで、プランナーの方もいろんな知恵を出してくださって。まずは、自分が調べた内容をもとに、市の現状をわかりやすく伝えるビラを何号も配ることにしました。

    たくさんの種類のビラを配布したのですね。

    若手A市長
    写真はイメージです

    私もコンサルを仕事にしていたので、ここは妥協せず資金を使うところだと腹をくくって、A3両面の上質紙でガッツリ行きました。そうしたら、100回やって1回勝てるかどうかという評価から、10回やれば頑張ったら5回くらい勝てそうという雰囲気になったんです。ビラに反響があったのが励みになりましたね。

    ビラに対する反応は想定内?

    いえ,思ったより良かったです。噂にもなりやすかったので,そういう意味でも良かったと思います。
    女性からの評価が高かったのは意外でした。その為、それからは女性をターゲットにしたデザインにするなど工夫しました。女性は噂してくれるので強いですね。男性社会と違ってしがらみが少ないから、あちこちで話題にしてくれます。即効性というよりはジワジワくる。
    だから噂になりやすいような文言にするとか、そういうことを考えました。

    うわさになりやすいキーワードは?

    「ハコモノ政治」という言葉ですね。意味は分からなくてもまずは言葉を覚えてもらって、話題の方向性をガイドするという事です。事実に基づいた内容をしっかり発信して、簡素化しすぎず、伝えたいことはしっかり伝えることは忘れませんでした。

    地域ごとの意見交換会で、ストックした知識が武器に

    そうして、選挙2ヶ月くらい前からは組織的に動いたんですね。

    まずは名士個人との面談を中心に行ないました。地盤がゼロなので、コアなファンを何人作れるかと考えました。辻立ちをしてもそれは難しそうだったので、本当にファンになってくれる方を増やすにはどうすればいいのか。露出を増やすのではなく,それを課題にしました。
    地域の全地区で意見交換会をひと月毎晩行ないました。
    対象地区に告知ビラを配らなければなりませんでしたし、準備がとにかく大変でした。

    意見交換会という集会を、どのようにやったのですか?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    全体の1/3は自分で話し、残りは質疑応答です。私が一方的に話すのではなく、参加してくださった市民の方の声を聞きたくて始めたのですが、ここで、最初の2か月資料を読み込んだのが活きました。何を聞かれても答えられたんです。私がどんな質問からも逃げずに答える様子を見て全地区にコアなファンが生まれたんです。
    「若いから何も知らないだろう」という認識を「あいつは何を聞いても知っている」と変えられたんです。若い割に勉強していると。そうしたら意見交換会をしたことで、協力してくださる方が増えたんですよ。告示前にはビラの全戸配布が3日で終わる勢いでした。会を重ねるごとに協力していただける方が増えていくことに感動しました。

    意見交換会でコアなファンを作るという事で、特に意識したことはありますか?

    質疑応答に時間制限を設けないことです。何問でも、どんな質問でも答えますと。それだけですね。人を集める為にやったことはビラを配っただけですけど、同級生やその友人・家族などにお願いしてみんなヘロヘロになりながら配ってくれました。
    そのおかげで、ファンを増やすことができました。感謝です。

    そこからの活動はどのように?

    意見交換会をしっかりやって、街宣車は選挙1ヶ月前くらいから動かして告知もしっかりと。2連ポスターも作ったり、若い世代の減少率が突出していること、住みよさランキングが急降下していることなど、危機的状況を知らしめていくことを行ないました。
    「みんなで新しいまち」に変えていこうとアピールしていきました。

    意見交換会、当初の参加者はどのくらいでした?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    5~6人ですね。参加者ゼロもありえると思っていたので、数人でも来てくれたことに感謝しかありませんでした。40人くらい集まった会があったんですが、あの時はしんどい思いをしながらビラを配ってくれたスタッフのみんなも感動してくれて、嬉しかったですね。あとで聞いたら、名士の方々が「あいつの話を聞け」と、各々4人くらいずつ集めて下さっていたんです。それがどんどんプラスになり、一度聞いてくれた人が、次に来るときには誰かを誘ってくれるという連鎖が起きて。全部終わった後、これまで調べたことと意見交換会で出たことなどをまとめて政策を作って、全戸配布しました。
    それがかなり効を奏したと思います。

    どのようなものを作ったのですか?

    表面の2/3には新庁舎は必要ないという事をバンと。残りの1/3は5個くらいの政策を書いたんです。これは意見交換会で出たことが中心でした。裏面には意見交換会をした全会場の写真や意見などもたくさん載せました。こんなにたくさんの会場で意見交換を実施したのかと目を引き、選挙の争点をアピールしました。

    着々と土俵を作られた…そんな風に感じますね。そんな極度の緊張状態で行なわれて、ペース配分は難しくありませんでしたか?

    1カ所でもミスると勝てないと思い、慎重に綿密に行ないました。活動量をあげることは重要ですけれど、私は無駄なことはしない主義なので、意外でしょうけれど、睡眠はしっかり取りました。寝不足の頭では質問に切り返すことができないだろうと。「休む」という事を大事にしました。

    やることを絞り込んで行ったという事でしょうか。

    そうです。だらだらと会議をするなんてしませんでしたね。例えばビラ作りも、みんなで集まって作るのではなく、私が作って、選挙プランナーにコンプライアンスのチェックをしてもらって、印刷指示を出していました。選挙用品ドットコムさんにも、納期の件で無理をお願いしたりとお世話になりました。用品の手配は主に事務局長に任せていましたが、彼も初めての選挙だったので、経験豊富な選挙用品ドットコムさんのサポートに感謝していました。

    熱い思いを冷まさないために、折に触れて自問自答。「何のために選挙に出るのか」。

    選挙の手ごたえはどう変わっていきましたか?

    若手A市長
    写真はイメージです。

    明らかに応援してくれる人が増えてきたと感じました。表だって応援してくれる人が増えてきた
    手ごたえはありました。

    告示をすぎ、選挙中は何を考えていましたか?

    有難いことに、街宣車で回ることだけに集中できました。人手不足だったんですけど、友達に声をかけて「1週間だけお願い!!」と声をかけまくったり、同級生やそのご家族にも助けていただいて。電話部隊、ポスター部隊…私ですら誰に頼んでいるのかわからないほど、いろんな方が集まってくださいました。ただし、指示系統に関しては、選挙のことはわからなくていいけど、戦略を聞いて理解できるという人を集めました。後援会もちゃんとなく、支持政党もなく、言うなれば少数で奇襲をしかける上で、従来の考え方では対処できないので、柔軟な頭で対応できる人が必要だと思ったんです。

    首長となると政治団体との距離感が大事ではないでしょうか。

    そうですね。全政党と対等なお付き合いを心がけました。でないと勝てないと思ったので。

    具体的には?等しい距離で敵味方ではなく一定の関係を保つのは難しくないですか?

    目標を共有するという事でしょうか。現職への批判の声もありましたので、現体制のままでいいのか、新しい体制に変えるのかお互いに考えようと。市民のために市政を変えることを共通目標としましょう、と話を進めていきました。

    現体制を変えると、自分から訴えていったと。

    そうですね。ただ、現職の批判はせずに「新しいまちにしよう」と訴えていきました。

    実際に当選が近づき、最後のマイク収め等はどうでしたか。

    総決起集会を投票3日前にやり、そこでハッキリと手ごたえを感じました。投票日直前で尚且つ一番ファンが増えたタイミングで行ないたくて、あえてギリギリを選びましたが、この日で良かったと思います。

    期日前投票は意識しましたか?

    はい、かなり意識しました。投票日当日は寒波で路面凍結の恐れがあったので、投票率が下がると勝てないと思っていましたから。寒波が来ると分かった時点で街宣車でも期日前投票に行ってくださいと呼びかけていました。それが良かったのか、期日前投票も通常の倍くらいあったそうです。

    投票が済んで、どのように過ごしましたか?即日開票ですよね。

    結果は一人で車の中でスマホで見てから会場に行きました(笑) 私にとって当選はスタート地点。万歳三唱は本当にまちが変わったその時まで取っておきたかったので、選挙をともに闘ってくれたみんなと、これからの新しいまちづくりに向けて「頑張ろう三唱」をしました。

    選挙を通じてご自身の変化はありましたか?成長したとか。

    若手A市長
    写真はイメージです。

    成長というよりは、変えないことに気を付けました。どうしても易きほうに流されてしまいがちなので、最初の熱い想いは絶対に変えないぞ、と。折に触れて、「なぜ選挙に出るのか」を自問自答しました。どうしても途中で分からなくなることがあると思うんですよね、人気取りじゃないですけど。そんな時にそういうことを考えてましたね。お風呂の湯船に入っている時に良くやってました。尊敬する方がいて、その方にいま会ったらどう思うだろうとか、その人ならどうするだろうとか、そういったことを意識して考えてましたね。 お風呂で疲れをとるという事もありますけど、心の揺れとか…誰にも相談できないこともあるので、ゆっくりしながら自問自答。だから比較的長風呂です(笑)

    今回お話を伺っていて、失敗体験がないような気がしますが…。それはすべて自問自答があったからでしょうか?

    失敗しないという事ではなくて(笑)失敗を失敗と思わないんですよね。

    エジソンみたいですね(笑) 現職となって、『ご自身の若さ』をどう捉えますか?

    なってしまえばプラスですね。市長会に出ても声をかけて頂きますし,どこへ行っても覚えていただいている。すべてプラスです。話題性と知名度を、まちのためにどんどん活かしていくつもりです。

    選挙中に辛かったことやトラブルはありましたか?

    大きなトラブルはなかったと思います、かなり気を遣ってやりましたので。辛いこともなかったと思います。

    そうですか?よく聞く嫌がらせなどもなかったんでしょうか?

    あ、それはありました。事務所を貸してもらえなかったり、公開討論会がキャンセルになったり。でもそのたびに「相手陣営も焦っているんだ」と思っていました。楽勝だったら嫌がらせなんてしませんからね。嫌がらせが来るたびに勝利へ近づいていると感じました。
    きつかったと思ったのは、当初の5人体制の時ですね。2人が重い病気になって戦線離脱してしまった。判明したのが選挙直前で、本当に人がいなくて…。選挙が始まる3日前まで午前中の事務所には私と母親ともう一人くらいしかいなくて、これでほんとに選挙やれるんだろうかと(笑)

    リスクを回避するには、リスクを選んでしまえばいい

    将来的に市長になりたいと考えている方にアドバイスをお願いします。

    リスクをとる時は誰しも最小にしたいと思いがちですけれど、徹底的にリスクを選んだ方が、結果的に回避できると感じました。費用がかかるアクションについても、やらないリスクは取らず、やるリスクを選ぶ。お金がなくなるというリスクはありますが、ビラを配らなければ知名度はゼロのまま時間だけが過ぎていきます。潤沢な資金があったわけではないので、私も悩みましたが、やったなりの効果はありました。新人の場合は
    特にそうしたリスクをとってでも攻める姿勢が重要だと感じました。

    若手A市長
    写真はイメージです。

    本日はお忙しい中、ありがとうございました。