■選挙体験記 - 米川大二郎 東京都・葛飾区議会議員に聞く

米川さんは、2009年7月の東京都議会議員選挙、同年11月の葛飾区議会議員選挙に続けて出馬するも落選。4年間の浪人生活を経て、2013年11月、葛飾区議選で初当選されました。2度の落選から何を学び、どう戦って勝利されたのか、詳しく伺いました。

もくじ 
  1. 米川大二郎さんのご紹介
  2. 経済的不安を抱え、3戦目に挑む
  3. なぜ落選したか?「ポスターと街頭演説だけの選挙運動でわかったこと」
  4. 3戦目の戦い方
  5. 地域活動 「人となりを知ってもらう。キーマンとの出会いのチャンスも」
  6. 早朝の駅頭活動 「拡声器を使った演説はNG。どうするか?」
  7. 米川さん流「個人新聞を配る5つのノウハウ」
  8. 駅頭活動の効果 「『がんばれ』、『おめでとう』と多数の声」
  9. 選挙運動中、「このままでは負ける」と強く感じた
  10. 「負け戦」につながるものとは?
  11. 「このままでは負ける」状況を、体当たりで打開
  12. 選挙用品ドットコムのデザイン・スピード・著書について
  13. 勝因
  14. 出馬を目指している方へのアドバイス


■ 米川大二郎さんのご紹介

-- 自己紹介からお願いいたします。 

葛飾区議会議員 米川大二郎、45歳です。2度の落選を経て、2013年11月、葛飾区議選で初当選しました。家族は妻、小学6年生の娘、ネコ2匹です。

-- 米川さんの初出馬は、2009年7月の東京都議会議員選挙。政治の道を志し、3回目の出馬にいたるまでをお聞かせください。

2009年7月の東京都議選。
後援会なしの「ひとり選挙」
私は、東京都職員として、11年にわたり都庁に勤めましたが、一職員でできることには限界がある。直接、住民の思いを実現できるのは、政治家だと考え、都議選出馬を決意しました。しかし都議選のハードルは高かった。

それなら、まず自分の地元を変えて、徐々に周囲も変化させていこうと、都議選から約4カ月後、葛飾区議選に出馬。しかし、またもや残念な結果に終わりました。 区議選は、「これが最後」と家族に約束して臨んだ選挙でしたが、やはり、どうしても政治の仕事がしたい。政治家が天職と感じる。それで3回目の出馬を決意しました。

-- ご家族の反応はいかがでしたか。

「話が違うんじゃない」。

かみさんには、怒られました(笑)。でも、最後には、出馬を許してくれました。

■ 経済的不安を抱え、3戦目に挑む

-- 09年の最初の区議選から、13年の2回目の区議選までの4年間、仕事は、どうされていたのでしょう。

出馬を予定しているので、正社員の仕事にはつけませんでした。最後の2年間は、かみさんに、食べさせてもらいました。
2005年には政治家の道に進むべく、東京都庁を退職。
生活のために自ら不動産屋を始めましたが、大した収入にはならず、10年5月に廃業。同年12月に、東京都議会議員の秘書として雇っていただいたのですが、都議が急逝され、10カ月で秘書務めは終了。11年10月ごろから、区議選の半年前にあたる13年5月までは、ガテン系アルバイトで稼ぎました。

私のバイト代は、こづかい程度。かみさんの収入だけで、小学生の娘がいる3人家族を支えるのは、なかなか大変でした。体力のいるガテン系のバイトは、40代にはきつい。万一、かみさんが体調を崩して働けなくなったりしたら、私は出馬を断念して、正社員の仕事に付かなければいけない。経済的な理由で、出馬できなくなるのではと、いつも不安を感じていました。

■ なぜ落選したか?「ポスターと街頭演説だけの選挙運動でわかったこと」

-- 経済的な不安がある中、3戦目に挑まれたのですね。3回目の出馬に当たり、2度の苦い出馬経験を振り返られたと思います。過去2回の選挙では、当選するための、何が不足していたと考えましたか。

直接、有権者の方に接する機会が不足していました。

-- なぜ、不足したのでしょうか。

原因は、そもそも私が選挙を甘く見ていたことにあります。
選挙で有権者の支持を得るには、直に有権者と接して、言葉を交わし、顔と名前を覚えてもらったり、人となりを知ってもらう必要があると聞いていました。

しかし、過去2回の出馬では、
「本当に直に接しないとダメなのか?ポスターで顔と名前を覚えてもらい、街頭演説で自分の考えを発信すれば、私を支持してくれる人は出てくるはずだし、当選できるのではないか」
と考えていたんです。

それで、後援会は置かず、直に有権者と接するような政治活動(※)もほとんど行わず、ポスターと街頭演説の選挙運動を行っただけでした。

※政治活動:政治上の目的をもって行われるいっさいの活動から、選挙運動にわたる行為を除いたもの。
 選挙運動:特定の選挙に、特定の候補者の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること。
 選挙運動は、公示日(告示日)に立候補の届け出をしてから投票日の前日までに限りすることができる。
(出典:東京都選挙管理委員会ホームページ 選挙Q&A「選挙運動と政治活動」より一部抜粋)


-- 「ポスターと街頭演説だけの選挙運動」を行って、わかったことをお聞かせください。

この程度の働きかけでは、有権者の方に、「米川大二郎」という候補者の存在そのものに、気づいてもらえないとわかりました。
選挙後に、地元の人と言葉を交わしてみると、私が出馬していたことすら知らない人が多かったんです。これでは、票は集まりません。

大半の方は、注意してポスターを見たり、積極的に街頭演説を聞き比べたり、新人候補についてネットで調べてみたりするほど、政治に関心はない。だから、知っている人、会って話をしたことがある人、何らかの具体的なメリットをもたらしてくれた人に投票しがちなんだ、それだけ現職が有利なんだと、実感しました。無名の新人候補である私は、不利な分だけ、自らを知ってもらうために、直に有権者と接する活動に力を入れるべきでした。

-- ポスターを見て候補者を選ぶ人より、面識のある候補者を選ぶ人が多いということは、浮動票(※)を狙うより、地元の人とのつながりを強め、自らの固定票を積み上げていった方が手堅いと言えますね。

※浮動票:選挙において、特定の支持政党、または候補者を持たない有権者が投ずる票
 固定票:選挙において、特定の支持政党、または候補者を持ち、毎回その支持政党や候補者に投じるとみなされる票


■ 3戦目の戦い方

-- 貴重な2回の落選経験を基に、3度目の選挙はどう戦おうと考えましたか。

時間をかけて、地元の人と接し、私の人間性や、地域をより良くするための考えを知っていただいた上で、選挙に臨もうと考えました。
そのために、PTAや地元消防団などの一員として、地域コミュニティを支える地域活動、直接、多くの方と接することができる駅頭活動を重視することにしました。地域活動が、ストレートに票につながるとは考えていませんが、いっしょに地域貢献をする中で、私という人間をわかっていただければと思いました。

また、3戦目にして初めて、後援会を立ち上げることにしました。過去2回の選挙は、基本的に自分で全て行う「ひとり選挙」。一人で戦う限界を感じましたし、今度は、周囲の方のお力添えをいただいて出馬しようと考えました。
それから、2010年に自民党に入党しました。自民党とは、政策面が大枠で一致していましたし、地元でもっとも支持されている政党だったので、入党すれば、地域の信頼も得やすい。3戦目は、自民党公認候補として出馬しました。

■ 地域活動 「人となりを知ってもらう。キーマンとの出会いのチャンスも」

-- 3度目の選挙に向けて、地域活動と駅頭活動を重視されたとのことでした。まず、具体的に、どんな地域活動を行ったのか、お聞かせください。

文化厚生部部長として、
地元の盆踊り大会に参加
地域活動は、娘の通う小学校PTA副会長のほか、地元町会の文化厚生部部長や、青少年部理事、消防団団員の立場で行いました。

PTA役員として、小学校の運動会のサポートや、地域の夜間パトロールを行う一方、役員のみなさんと、PTA野球にも興じました。

消防団団員の任務で、隣町の盆踊り大会の警備にあたることもあれば、文化厚生部部長として、地元の盆踊り大会の司会を務めたり、盆踊り大会のご来賓の方々にお出しする、葛飾産「朝採り枝豆」の葉や茎を取る作業を手伝ったりしました。

いっしょに枝豆の下準備をしたご年配のお母さんたちには、世間話をするうちに、
「あれ、じゃあ、あんた○○さんの息子さんなんだ」
「○○さんのお孫さんになるんだね」
「うちの孫と、あんたの娘さんは同じ小学校だね」
など、自然に、私がどこの誰なのか、分かってもらいました。 他の地域活動でも、ともに作業にあたるうちに、周囲の皆さんに、徐々に「米川大二郎」について知ってもらった感じです。

-- 結局、信頼関係は、自分や家族の日々の人間関係の上に築かれるものなのですね。普段のお付き合いが重要というのは、わかる気がしました。
地域活動を通じ、米川さんの人となりは、地元の人に伝わったと思いますが、政治家への志や区政への考えについては、どうやって伝えられたのでしょう。


後援会会長の力をお借りしました。
会長は、約100人の地域のお年寄りが参加する会をまとめています。この会では、年2回、踊りや歌の発表会を催したり、地元の学校でお手玉の昔遊びを教えたりなどしています。会長は、大変、めんどうみがよく、幅広いネットワークをお持ちの方なので、地元出身の前区議の後援会会長、私が秘書としてお世話になった都議の役員を務められていました。実は、私が都議の秘書につけたのも、会長の後押しがあってのことです。

会長に、お年寄りの会の新年会など、人が集まる席に私を呼んでいただき、ご挨拶させていただく中で、私の志や考えを町のみなさんに伝えていきました。

-- 他に「会長のおかげ」と感じた点はありますか。

たくさんあります。1つ挙げるなら、会長のお力添えで、町の名士の方々が、後援会事務局の幹事長、副幹事長役を引き受けてくださいました。町で信頼されているみなさんが、バックアップしてくださったので、「あの人たちが推している人なら」と、私の支援者になってくださった方は少なくありません。

-- 地元名士の推薦は、支援者や票の獲得につながりやすいです。地元名士と知り合い、支持してもらえれば、より多くの人に自分の考えを聞いてもらったり、支援してもらったりする可能性が高くなります。米川さんは、どうやって会長とお知り合いになられたのでしょう。

地域活動が出発点と言えますかね。
直接、会長を紹介してくださったのは、私の町の町会長。私が、町会長と言葉を交わすきっかけになったのが、町の廃品回収ですから。

-- 地域活動がもたらすものは、多いですね。活動に参加すれば、地元の人に候補者の存在を知ってもらったり、地域の実力者と出会うチャンスを得たりできそうです。

■ 早朝の駅頭活動 「拡声器を使った演説はNG。どうするか?」

-- 次に、具体的な駅頭活動についてお聞かせいただけますか。

個人新聞
「米川大二郎NEWS」
はい。駅頭活動は、3度目の選挙で、支持を得るのに、もっとも効果的な活動でした。
早朝の駅頭活動で、拡声器を使った演説などができない状況だったので、個人新聞「米川大二郎NEWS」の配布に徹しました。

-- 「米川大二郎NEWS」バックナンバーのタイトルを拝見すると、「確かな学力の定着度調査」、「待機児童対策」、「東日本大震災被害状況」など、固めのものが目を引きます。

NEWS配布の主な目的は、駅頭活動の気恥ずかしさ解消、私の存在の印象づけ、活動の裏付けづくりだったので、NEWSのとっつきやすさは二の次。自分の政策と興味をひかれたできごとについて、書きました。
「おはようございます」とあいさつするだけの駅頭活動を見聞きしますが、それはちょっと気恥ずかしい。NEWSを配りながらなら、あいさつもしやすいし、私の存在も印象に残りやすい。私のホームページには、現在までに発行した米川大二郎NEWS24号までが掲載されていますから(※取材時点)、これが、コツコツ活動してきた証になっています。

■ 米川さん流「個人新聞を配る5つのノウハウ」

-- NEWSの配り方のコツなどがあれば、お聞かせください。

効率と効果を考えた配り方のノウハウは、5つあります。




【ノウハウ1:駅に入っていく人を狙う】
早朝なので、基本的に、駅に入っていく人が、町に住んでいる方ですから、入っていく人を狙って手渡します。

【ノウハウ2:もっとも効率的に配れるポジションは、ココ!】
個人新聞を配る時の
ベストポジション
自分なりに、配る時のベストポジションを見つけました。
まず、駅の階段を降りたところから、町に向かって歩き、駅から2メートルほど離れます。離れたら駅を振り返り、ちょうど駅の階段の真ん中あたりになる地点に、駅を背にして立ちます。
この地点に立っていると、駅を目指す人の流れがまっすぐ私に向かってきて、私を避けるために私の前で二手に分かれます。
いわば、手の届く範囲に、町の人が集まってきている状態になるので、効率的に配布できます。

【ノウハウ3:直立不動で、手首だけを左右に振って配布】
直立不動のまま、手首だけを左右に振って、傍らを通りすぎる左右両方の方に、NEWSを渡します。腕を横に出して配ると、後ろからくる(駅から出てくる)方にぶつかって危険ですし、手首だけを左右に振る方法なら、最小限の体力と時間で配れます。


【ノウハウ4:同じ新聞を2度渡さないための工夫】
1人の人に、同じ新聞を2度渡さないために、工夫が必要です。私が個人新聞を配っていた駅には、3カ所の出入口があります。通勤・通学する方は、常に同じ出入口から駅に入るもの。私の個人新聞は週刊なので、週3回配っていた時は、火曜日は南口、水曜日は北口、木曜日はイトーヨーカドー口といった具合に、曜日ごとに、新聞を配る駅の出入口を決め、1人の人に同じ新聞を2度配るのを避けました。

【ノウハウ5:いつも受け取る人には、毎回、必ず渡す】
より多くの方に配布するのは重要ですが、いつも受け取ってくださる方に、毎回、必ずお渡しするよう意識するのも大切。こういう方が支援者になってくださいますから。

-- いつも受け取ってくれる人がいれば、配る側のモチベーション維持にもつながります。不特定多数の人に、ただただ配り続けていると、モチベーションが下がって、惰性で配るようになり、有権者にマイナスイメージを与えるリスクが高まります。

そうですね。それから5つのノウハウに付け加えるとしたら、続けることも重要。以前は受け取ってくださらなかった方が、続けていると、受け取ってくださるようになる場合もあります。

また、配布数を伸ばすには、やはり2人以上で配るのが理想的。1人で週3回実施すると、一週間の配布数は400枚〜450枚でしたが、2人ですと500枚以上になりました。3人で配ったときは、一回当たりとしては最高の235枚配りました。

■ 駅頭活動の効果 「『がんばれ』、『おめでとう』と多数の声」

-- 駅頭活動は、いつごろから始めて、どのくらいの期間、続けましたか。

2013年1月に始めて、投票日前日の13年11月10日まで、約11カ月と10日続けました。当初は週2回でしたが、区議選の6カ月前に当たる5月からは、アルバイトも辞めて政治活動に専念したので、週3回にしました。
1月は午前7:00〜午前8:30に実施していましたが、日の出の早まりに合わせ、4月からは6:30〜8:30、7月からは6:15〜8:45に行いました。

-- 1年近く、同じ駅で活動を続けられたわけですね。駅頭活動の効果を実感されたことはありましたか。

ええ。多くの方が、声をかけてくださったり、応援してくださったりするようになりました。
早朝のラジオ体操に参加する方と、顔見知りになり、親しくお話するようになりました。その方は、私の出馬を知り、「ポスター2枚貼ってあげよう」と申し出てくださいました。
いつも「おはよう」とあいさつを交わしていた小学生が、帽子をなくしてしまったことがありました。帽子が見つかった時には、「出てきたよ!」と報告してくれて、ハイタッチして喜び合いました。

選挙戦終盤の駅頭活動
暑い日が続くと、よく飲み物の差し入れをいただきました。

「米川大二郎NEWS、毎回、楽しみにしてるよ」、「NEWSは1つ、1つ、テーマが違うんだね」、「うちに(米川大二郎NEWSを)全部取ってある」と伺ったこともあります。

多くの方から、出馬した時には「がんばれ」、当選後には「おめでとう」と声をかけていただきました。

■ 選挙運動中、「このままでは負ける」と強く感じた

-- ここまでのお話から、米川さんは、2度の落選経験を、3戦目に生かし、順調に当選への道を歩まれたという印象を受けました。実際はいかがでしたか。

順調というわけではありません。
選挙運動中に、「このままでは負ける」と強く感じたことがありました。

-- どういう時に感じたのでしょう。

選挙運動の前半3日間、駅頭活動や桃太郎(※)の最中です。
後援会事務局の幹事長、副幹事長、陣営スタッフなどと、駅頭活動や桃太郎を行ったのですが、駅頭活動の「お願いします」の声に全く力が入っていない。桃太郎は、本来、1列にきちんと並んで行うものですが、だらだらおしゃべりしながら2列になって進み、周囲の車や通行人の方の流れに気を使っていない。たまたま、その場に居合わせた町の方が「全然、『お願い』してないじゃん」と言うのを耳にした時、「これは大変だ」と思いました。

※桃太郎:選挙用語。候補者と陣営スタッフなどがのぼりを立て、商店街など、人通りの多いところを、あいさつしながら練り歩くこと。


-- なぜ、大変だと思われたのですか。

こういう状況では、有権者の方が、私を応援する気をなくしてしまうからです。
後援会のみなさんは、気が緩んでいたようです。気が緩むと、ちゃんとやっているつもりでも、活動に一生懸命さが感じられなくなったり、細かい点まで気を配れなくなったりしてきます。有権者の方には、米川陣営はだらけて見えます。これでは、応援してくれていた人も離れていきます。

-- 気が緩んだ原因は何でしょう。

私の陣営が、いわば選挙の素人集団だったことです。
後援会会長はベテランでしたが、選挙戦の現場は、幹事長、副幹事長をはじめとする後援会事務局スタッフに任されていました。幹事長、副幹事長も含め、大半のスタッフは、今回が、人生初の選挙運動。気の緩みの怖さを知りません。

私は、「気の緩みは負け戦につながる。陣営は、常にひきしめろ」と学んでいましたが、通常、ひきしめ役を担う後援会幹部が、私の陣営には、いなかった。私自身も、組織選挙は初めてで、どう陣営を引っ張っていくべきか、手探り状態。
ひきしめ役がいないところへもってきて、私の地区は、強力なライバル候補が不在で、そもそも緊張感が弱い。しかも長い期間、駅頭活動をしてきて、陣営が「駅頭活動慣れ」していたのも、裏目に出ました。それや、これやで、いよいよ最後に来て、気が緩んだんだと思います。

■ 「負け戦」につながるものとは?

-- 「気の緩みは負け戦につながる。陣営は、常にひきしめろ」と学んだとのことでした。どこで学ばれましたか。

自民党の選挙対策会議などで学びました。
自民党員となってから、選挙のお手伝いをする機会があり、大物議員でさえ、気の緩みを警戒しているのを目の当たりにしました。

衆院選でのことです。
ある著名議員の周囲から、「勝てそう」、「大丈夫だろう」と選挙戦の手応えを語る声が聞こえていました。ところが、当の議員は後援会幹部を集め、緊急選挙対策会議を開いたんです。私は、この会議に顔を出させてもらいました。

「この選挙は、非常に厳しい」
「『大丈夫だ』とのうわさを聞いて、支援者が安心して、投票に行かなくなり、票を失うことも考えられる」
「『万一』ってことがあるんだ。しっかり最後まで、気を抜かずにやってくれ」

議員がこう語るのを聞いて、
「選挙は何が起きるかわからない。だから、最後の最後まで、緊張感を持って、やるべきことをやらなければならないんだ。これだけ力のある議員なのに、選挙の先行きを楽観視して気が緩まないよう、周囲をひきしめているんだ」
と思いました。

大物議員がそれだけひきしめてかかっているのに、2回落選している私の陣営が、緩んだままでいいはずがない。選挙の手伝いを通じた学びを、自分の選挙戦で活かせました。選挙の手伝いで、選挙戦を疑似体験できたのは、政党所属候補ならではのメリットでした。

-- これまで多数の当選者の方に、取材をさせていただきました。取材の中で、よくうかがったのが、「気の緩みが命取りになり、当落を左右する」という話。
新人・素人集団で戦う場合、気の緩みは、もっとも気を付けることのひとつなのですね。 組織の「気の緩み」を立て直すには、雰囲気を察し、先手で引き締めなければなりません。後手になると、手遅れになり、そのまま勢いを盛り返せず「仲良しクラブのまま、選 挙を終えてしまった」というケースも聞きます。


■ 「このままでは負ける」状況を、体当たりで打開

-- 米川さん陣営には、ひきしめ役がいなかったと伺いました。最終的に、どうやって気の緩んだ陣営を立て直しましたか。

私自身でひきしめました。
緊急に、後援会幹部を集めた会議を開き、席上で、私がはっきり告げたんです。

「こんなやり方では勝てません。負けます。気持ちを切り替えて、有権者がどう思うかを意識して行動しないとダメです!」

私は、かなりの「怒りの形相」だったと思います(笑)。
幹事長も、副幹事長も、私より年上で、社会的地位もある方。この二人の大先輩を、後援会会長が同席する中、叱る形になってしまいました。

-- 怒りの発言の後、どうなりましたか。

それが、会議の翌日から、劇的に変わったんですよ!
駅頭活動では、きれいに並んで「いってらっしゃいませ!」と、声を揃えて町の人を見送ったり、桃太郎では、1列に並び、周囲に迷惑をかけないよう歩行者の流れを確認する人、声を出す人を決め、整然と商店街を練り歩きました。

「いやぁ、すごいですね。今日の駅頭活動も、桃太郎も、何回も選挙を経験された人の動きですよ」
「まだ(選挙は)終わってない!そういうこと言うな!」
嬉しくて、思わず幹事長たちに声をかけると、逆に喝を入れられました(笑)。

-- 良かったですね。幹事長たちとの関係が悪くなる可能性もあったと思います。

はい。
幹事長たちも、「ここまで来たら、負けられない」という思いがあったでしょうし、私との3年近い付き合いの中で、信頼関係ができていたので、失礼な言い方を許し、対応してくださったのかもしれません。後援会会長の人望もあります。「あの後援会会長の推す人だから」と、許された部分が少なからずあると思っています。
後になって、私から、幹事長たちに、失礼な言い方をしたことを謝罪しました。幹事長たちからは、「こんな奴に、言われちゃったよ」、「おまえ、あの時、よくあそこまで言ったよな」と言われた程度で済みました(笑)。

■ 選挙用品ドットコムのデザイン・スピード・著書について

選挙事務所看板
-- さて、ここからは選挙用品についてお聞かせください。
米川さんは、候補者の顔や名前を目立たせるための選挙用品のデザイン、最適な色使いなど、これまで、選挙用品について独自に研究されてきたと伺っています。そんな米川さんから見て、選挙用品ドットコムはいかがですか。


初出馬の時から3戦目まで、ずっとお付き合いしていますが、メールでのやり取りで、デザイン、キャッチフレーズなど、こちらの要望にきめ細かく対応してくれたり、提案してくれたりするので助かっています。

初出馬の際、いろいろネットで調べましたが、私が見た限りでは、他の選挙用品店は、データはこちらで提供して印刷のみ請け負う店や、特定のデザインしか用意していない店でした。

それと選挙用品ドットコムは、対応スピードが速い。
これまで「待たされた」と感じたことがありません。オーダーした選挙用品が、「あれっ、もう来てるんだ」というスピードで届きます。



-- そのほかに選挙用品ドットコムについてお気づきの点があれば、お聞かせください。

選挙用品ドットコム代表 田村亮著:
「28歳で政治家になる方法」

詳しくはコチラ>>
選挙用品ドットコムの田村代表の本(「28歳で政治家になる方法」)はとても参考になりました。

本の中に、「他候補の誰よりも有権者と交流し、握手せよ」とあります(第4章「選挙直前までの1カ月ですべきこと」P193)。いわゆる、あいさつ回りです。選挙を3回経験してみて、より確実に、候補の人となりを知っていただき、ご支持を得るためには、駅頭活動だけでなく、あいさつ回りが、必要だと実感しました。

3戦目は駅頭活動中心でしたが、次の選挙では、ひとりでも多くの方に、ごあいさつする考えです。

■ 勝因

-- 2013年11月の葛飾区議選は、定数40人に対し、54人が出馬。米川さんは、前回、出馬した時の3倍以上の得票数、3,135票で、19位、初当選されました。勝因をどのように考えていますか。

多くの方に支援していただいたことです。4年前までは、一人での挑戦でしたが、今回は、大勢の方に支えていただきました。自分ひとりでは、届かない得票数でした。この場を借りて、みなさんに改めて御礼申し上げます。

また、私の家族、かみさんにも、お礼を言わせてください。
かみさんは、外では言えない愚痴を聞いてくれる、私の同志。

「落ちたらどしよう…」
「何言ってるの!これだけみんなに迷惑かけてるんだから、勝つしかないでしょ!」

いつも力強く、気合を入れてくれました(笑)。あなたのおかげで、また行政に関係した仕事に戻れました。3度目のチャレンジを許してくれて、ありがとう。ただただ感謝しています。

■ 出馬を目指している方へのアドバイス

-- 出馬を目指している方にアドバイスをお願いいたします。

素晴らしい支援者を得て、やるべきことをコツコツ行えば、結果はついてきます。素直に人のアドバイスを聞くのも大事です。

-- どうすれば素晴らしい支援者に出会えますか。

まずは、自分なりに、地元のために良いと思う活動をすることです。ある程度の期間、続けていれば、支えてくださる方が必ず出てきてます。だいじょうぶ、私も最初は一人でしたから。

-- 貴重なお話をありがとうございました。



【編集後記】
米川さんのお話を伺い、「どういう状況でも、やるべきことを淡々とやる」大切さを感じました。
選挙の世界では「3落で引退」という暗黙のルールがあるそうです。
弊社では、米川さんが、初出馬で落選された際にもお話を伺いました。「次回こそは」と熱い想いを語ってくださいましたが、2戦目も敗退。
2回の落選後、3戦目に当たる区議選までの4年間は、経済的不安も含めたプレッシャーとの戦いだったと思います。
米川さんは、その厳しいプレッシャーの中で、敗因を分析し、やるべきことをやり、支援者たちと出会って当選への道を開かれました。また、文中で紹介しました大物議員の「『勝てそう』な状況でも、気を緩めず、やるべきことを最後までやる」姿勢も心に残りました。

怯んでも、浮かれても勝機を逃す。

「やるべきことを淡々とやる」のが、勝利への唯一の道のようです。




※ 取材日時 2013年12月