お客様の声 - 永原としひろ 木更津市議会議員に聞く

木更津市議会議員 永原としひろ氏


2011年、木更津市議会議員一般選挙に立候補し、みごと初当選された永原としひろさん。どのように選挙用品を準備されたかを中心に、お話しを伺いました。

もくじ

  1. 永原としひろさんのご紹介
  2. なぜ、立候補しようと思ったのか
  3. 選挙用品を依頼する会社をどのように選んだか
  4. 「立看板」「たすき」「のぼり旗」ができあがるまで
  5. 落選から再出馬への道のり
  6. 当選の切り札となった新しい「のぼり旗」
  7. 選挙用品によって、選挙に差がつく
  8. 新人候補の方へのアドバイスと、今後の抱負


■ 永原としひろさんのご紹介

― こんにちは。今日はよろしくお願いします。それではまず、永原さんの自己紹介をお願いします。

2010年3月の木更津市議会議員補欠選挙に無所属で初出馬、14,500票をいただくも、落選しました。約1ヵ月、家から一歩も出られないほど落ち込みましたが、奮起して再チャレンジを決意。2011年4月の木更津市議会議員一般選挙に、無所属で出馬し、初当選いたしました。投票してくださった方々、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
「驕(おご)らず、媚びず、意志を貫いた議員活動」をポリシーに、5月より市議会議員としての歩みを始めております。

木更津市役所の前で
― それまでの経歴、ご活動をお教えいただけますか。

東京に生まれた後、幼い頃に千葉県君津市に、小学2年生のときに現在の木更津市に引っ越してきました。木更津高専卒業後は、いったん東京で就職したのですが、妹の結婚を機に、28歳で木更津に戻りました。私は17歳のときに父を亡くしており、一人暮らしとなる母の面倒を見たいと思ったのです。

しばらくして塾を開き、生計を立て始めました。現在まで続いている「さくら学院」という塾の前進です。これと平行して、町内活動を中心に、地域のボランティアに精を出すようになりました。塾は夜なので、昼間は時間があったんですね。おやじの代わりに、という気持ちもありました。

2005年から2年間、息子が通う清見台小学校のPTA会長を務めます。他にも青少年相談員を務めるなど、地域活動に取り組んできました。


■ なぜ、立候補しようと思ったのか

― 市議会議員に立候補しようと思ったきっかけは何でしたか。

PTA会長になったのが、人生の転機でした。

ある日、息子の小学校で「枝切りボランティア」をしていたら、「PTA会長をやらないか」と校長先生から打診が。私は「PTA(※1)」の言葉の意味さえ知らない状況だったので、いったんはお断りしました。ですが、校長先生は私の中学時代の恩師で、深いご縁を感じたこと、また「好きに動いてみたらいい」という熱心な言葉にその気にさせられ、最終的にお受けしました。

PTA会長時代には、大きく2つの改革を行いました。その中で、皆と力を合わせれば変化を起こせると実感。一方で「壁」にもぶち当たりました。これらの経験から、市議会議員を目指すことを決意したのです。

(※1)PTA=Parent Teacher Association/父母と教師の会


― 順にお聞きします。2つの改革とは、具体的に何ですか。

一つはPTA役員の大幅削減。もう一つは「不審者情報の即時配信システム(清Pメール)」の導入です。

清Pメールとは、学区内(清見台周辺)で不審者や、子供が被害となるような事件が発生したら、あらかじめ登録してある保護者の携帯やパソコンへ、即時に情報を配信するシステムです(※2)。子供の安全を守りたい、という親御さんたちの思いを形にしました。大勢の知恵と力を合わせれば、PTA単位でも相当なことができるんですね。
でも、限界も感じました。

(※2)後に全国PTA会長賞を受賞、現在は「きさらづ安心・安全メール」として、市全体で使われている

PTA会長時代の仲間も
永原さんを応援しました

― どのようなときに限界を感じられたのでしょうか。

例えば「学校の階段を直したい」と訴えても、市役所に「予算がない」とあっさり却下されたときです。PTAという立場での限界を知り、もっと高いステージに上がりたいという意識が芽生えました。

また、PTA会長として様々な会合に出席するうちに、子供だけではなく、高齢者や生活弱者の抱える問題にも気づきました。
現状を変えるアイディアはある。でも、PTA会長では成し遂げられない。じゃあ、チャレンジしようと決意したのです。議員になれば「木更津市を変えられるかもしれない」と。

― 思い切りましたね。ご家族など、周囲の反応はいかがでしたか。

熱い、いえ、暑苦しい男なもので(笑)。
最初、家族は反対しましたね。お金もかかるし、当選しても、落選しても、大変だと。
でも私は「人生は一度きり」と、腹をくくりました。基本的に私は「人に喜んでもらう」ことが大好きなんですよ。「ありがとう」の一言で舞い上がってしまう。政治家を志したのも、「人好き」が根本にありました。

■ 選挙用品を依頼する会社をどのように選んだか

― 出馬を決めて、まずどんな準備をされましたか。

選挙用品の準備を始めました。「立看板」と「たすき」、そして「のぼり旗」を作ろうと決め、会社を探し始めました。

― ポスターなど、他の選挙用品はどうされましたか。

ポスターとチラシは、前から付き合いのあるデザイナーにお願いしたのです。それでは足りませんが、時間も限られていましたから、必要なものだけを頼める会社を探していました

― では、会社はどのように探されましたか。

インターネットで探しました。「選挙用品」などで検索するといくつか会社が出てきます。「価格」と、「デザインセンス」で、選挙用品ドットコムさんを選びました。

― 選挙用品ドットコムのデザインの、どこが良かったのでしょう。

トップページのデザインですね。はっきり言って「直感」です。私のイメージや作りたいデザインに近い、と感じました。私は、第一印象は、かなり当たるものだと思っています。選挙の看板も第一印象が非常に大事ですが、それと一緒ですね。

― ネットで探すということに、抵抗や不安はありませんでしたか。

依頼する際に対面でないという点に不安はありましたが、それ以上に、「自分で責任をもって探す」ことが大事だと考えていました。
私の場合、先輩議員もおらず、紹介してもらうツテはなったのですが、もし誰かに紹介してもらうと、価格が高くても、デザインが気に入らなくても、文句や意見を言い辛い。でも自分で探せば、自由に意見が言える。良いものを作るためには、しがらみはないほうがいいと思ったんですね。

■ 「立看板」「たすき」「のぼり旗」ができあがるまで

― 選挙用品ドットコムとのやりとりについて伺います。選挙用品ドットコムには、何を、どのように依頼されましたか。

最初に「立看板」の依頼をしました。
私からは、@デザインのイメージ、A色、B文言(名前、キャッチコピーなど)を、ラフな絵に書いて伝えました。

― 永原さんの持っていたイメージとは、どのようなものでしたか。

「温かみ」や「親しみ」が伝わるデザインです。「子供に夢と安全を」をキャッチコピーの一つにしていましたから、それと親和するデザインにしたかった。

もう一つが、「斬新」さです。選挙活動では「議会改革」を政策として掲げましたので、他の候補者にはない「新しさ」を打ち出したかったのです。

― 選挙用品ドットコムのデザインはいかがでしたか。

私のラフをもとに、数パターンを提案くださいました。想像通り、すごく良かったです。

― 良かった点を、具体的に教えてください。

第一に、「数パターン」というのがミソでした。
色は「青」と「赤に近いオレンジ」でお願いしたのですが、言葉では一言でも、色の幅はけっこうあります。どれを選ぶかで印象が違ってくる。色の濃淡、文字のフォントなどを少しずつ変えたパターンを実際に見せてもらうことで、「これがいい!」と、ベストを選べました。

第二に、こちらのイメージをくんだ上で、プロのアイディアを加えてくださったことです。
ちょっとしたことで、第一印象は全然違ったものになるんだなぁと驚きました。私の案をそのままデザインされてもダサかったはず。もちろん、こちらの希望を理解いただいた上での提案、という点が肝心です。その加減が絶妙でした。
一例ですが、斜め≠フ文字配置を提案くださったり。これは「斬新さ」を求めていた私の意図を正確にくんでいただいた現れだと思います。

第三に、レスポンスが速かった。
メールで2、3回、やりとりをしましたが、完成までに1週間もかからなかったと思います。立候補すると決まった以上、一日でも早く看板を立てたかったので、ありがたかったですね。


選挙用品ドットコムで作成した立看板
「数パターンの色から、満足いくものを選びました」



― 立看板の後、「のぼり旗」と「たすき」を依頼されたのですか。

はい。看板作成で「間違いなく満足するデザインを起こしてくれる」と信頼できたので、迷わず依頼しました。同じ会社に依頼することで、統一感も出せたと思います。


選挙用品ドットコムで作成したのぼり旗4種。
立看板とデザインを合わせ、イメージを統一



選挙活動中、いつも身に着けていた「たすき」


■ 落選から再出馬への道のり

― 補欠選挙では残念ながら、落選されました。

補欠選挙は一対一の闘い、組織票を持つ相手候補に、新人の私は歯が立ちませんでした。生きる気力が失せるくらい、落ち込みましたね。1ヵ月間、腑抜け状態でした。

でも、1年後に本選があることは分かっていましたから、もう一度だけ頑張ろうと、自分を奮い立たせました。あと一度だけ挑戦して、ダメだったら、政治の道をきっぱり諦めようと。

― 何が再出馬を決意させたのでしょうか。

私にいただいた14,500票です。信じてくださった人のためにも、ここで諦めちゃいかんなと。また、自分のやってきたことは正しいという信念がありましたら、なぜ負けたんだと、怒りも湧いてきましたね。6月には出馬を決めました。

再出馬を決めると、
一軒一軒を回ってたくさんの人と会った

― 初選挙のときから、変わった点はありましたか。

政治信念や政策は変わりませんが、選挙に向けては、補選の時以上に、背水の陣を敷きました。2つあった塾の教室の1つをたたみ、7月からチラシ配りを開始しました。自分をここまで追い込んだのは、人生で初めてですね。

これは当選してよく分かったのですが、政治家は、人生を賭けて勝負するだけの価値のある仕事です。市議会議員になれば目にする資料も増える、視野も広がる、意見を言うチャンスも増える――
必死になって頑張って本当によかったです。

■ 当選の切り札となった新しい「のぼり旗」


― 二度目の選挙で新たに作成された選挙用品はありましたか。

「夢ふうせん」の「のぼり旗」を作りました。この効果は絶大でした!

2008年に始めた「木更津・夢ふうせん」活動は、おかげさまで、2011年の5月5月に第4回を迎えました。市のすべての保育園、幼稚園に告知しているので、認知度はかなり高いのですが、主催が「永原」だということは、あまり知られていなかった。選挙活動のために始めたイベントではないのですが、これを使わない手はないと思いたち、「夢ふうせん」の「のぼり旗」を担いで、自転車で走ることにしたのです。

この「のぼり旗」によって、「夢ふうせん」=「永原」とつながり、私の認知度も高まったと思います。また「夢ふうせん」活動が持つ明るさや希望といったイメージが、私のイメージにもなったのではないかと思っています。



― 夢ふうせんの「のぼり旗」も、選挙用品ドットコムに依頼されたのですか。

もちろんです。すでに私のイメージを理解いただいていたので、簡単なラフを送ったら、すぐにできあがって助かりました。「夢を与える」というイメージにぴったりな、カラフルなのぼり旗になりました。


永原さん主宰 「木更津・夢ふうせん」
「子どもや大人に夢を持ってもらう」という趣旨で始めた、風船をいっせいに飛ばすイベント。色とりどりの風船が大空に放たれる光景は圧巻で、年々参加者が増えている。2011年5月は約400名が参加、600個の風船が空に舞い上がった。


■ 選挙用品によって、選挙に差がつく

― 選挙を振り返って、選挙用品で選挙に差がつくことはあると思いますか?

私はあると思います。

新人候補者は、有権者にほとんど知られていません。有権者が知る「取っかかり」になるのが選挙用品だと思います。のぼりや看板に「おっ」と一瞬でも目を留めてもらったり、好感を持ってもらえたりすれば、候補者本人を知らない方からも支援をいただくことができる。だから私は「知らない人が見て、どういうイメージを抱くか」を意識しました。第一印象や受けるイメージには、とりわけ気を使いました。

― これから選挙用品をそろえる方にアドバイスがあればお願いします。

これまで述べたように、第一に、自分が伝えたいイメージをきちんと伝えるデザインであること。ぜひ選挙用品ドットコムさんのような、プロのデザインセンスと提案力のある会社にお願いしてほしいですね。

さらに「統一感」も大事だと思います。選挙で使うすべてのグッズ、配布物、看板、たすきなどのデザインのベクトルを合わせ、イメージを浸透させていく。投票してくださる方の中には候補者を知らない人もいるのだから、選挙用品の印象で判断されることもあるということを、忘れないでいただきたいです。

■ 新人候補の方へのアドバイスと、今後の抱負

― 永原さんのご経験を踏まえ、新人候補となる方にアドバイス、背中を押す一言などあればお願いします。

支援者の方が作ってくださった
という、永原さんそっくりのだるま

楽しみながら活動できる組織を作り上げられるかが、勝敗を左右すると思います。候補者がカリカリしていては、求心力が落ちます。私も二度目の立候補の際は、「何があってもニコニコ」を心に決めて臨みました。

といっても、急に自分を変える必要はありません。選挙期間が重要なのは言うまでもありませんが、やはり選挙は、1週間だけの勝負ではないからです。私の選挙を手伝ってくれたのは、PTAの仲間や、地元の友人たちでした。ですので、自信を持って、普段通りの活動を続けていただきたいと思います。

私からアドバイスをさせていただくとしたら、
「選挙期間は1週間ではなく、人生の長さと完全に合致します!」
「そして選挙活動の内容は、自分の生き様そのものです!!」


― 最後に、議員として活動されている今の思いと、今後の抱負をお聞かせください。

当選して嬉しい! と感じたのは「当確」が出た一瞬だけでした。
いまは責任の重さに、正直、怖さすら感じています。

ですがこの恐怖感や重責感を忘れずに、自分らしく、4年間の任期を楽しみたいですね。公約に掲げた議会改革は、軌道に乗り始めました。
初心を忘れないと言えば、私は当選直後、登庁時にはエレベーターを使わず階段で昇り降りする、と決めました。議員には健脚が必要、4年間、これも実行します!

いま木更津市は、毎年1000人ずつ人口が増えています。アクアラインを使えば東京まで約1時間、空いている夜間は30分。便利なので若い世代も増えている。夢と希望を与えられる木更津作りのために、一歩ずつ、進んでいきます。






【取材を終えて】

永原様、本日はお忙しいところインタビューにご協力いただきありがとうございました。
永原さんの明るさとパワーに、お話を伺った私がエネルギーをいただいたように感じております。

「どんなに苦手なタイプの人でも、親友に変わるチャンスは作れるし、作る努力をするべき」

そして、「苦手なタイプが仲間に転じたときの力は、計り知れない強さを持っています」
さらに、「苦手なタイプを『敵』と思っているうちは、前に進めないでしょう」
といった永原さんの言葉が印象に残っています。そうした温かくて粘り強いお人柄と、「夢ふうせん」活動を立ち上げ、人気イベントにまで成長させた行動力に魅せられて、木更津市の方々は永原さんに市政を託されたのではないかと想像しました。 これから4年間のご活躍を、陰ながらお祈り申し上げております。



※ 取材日時 2011年5月
                                               ≫ 前ページへ戻る